What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

スペースド・アウトな 「バイリンのコギャル」 のツルー・ストーリー

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
 アメリカという空間に1年いて英語を一回も話さず,日本という空間へ帰って、初めて話した。信じられないでしょうが、本当なのです。
spaced out ---------(1)愚かな。軽薄な。(2)麻薬に酔った。「英語スラング辞典」(研究社)より
 ある日、ニッパーのコギャルがニューヨークにやって来るというので空港へ出迎えに行った。国際線到着ロビーは大きな荷物を持った人々ですごい混雑。やっと見付けました。だが、旅行カバンが見当たりません。なんと面倒くさいから持ってこなかったとのコト。でもエイズは怖いのでと手にはハブラシを一本。あとは泥棒されないため現金とパスポート入りのウェスト・ポーチだけです。これでは腰に一物、手に荷物どころか、そのあまりのウルトラ軽装に驚いてしまった。外国へ行くのだという気持ちなんかみじんもありません。まるで町のお風呂屋へニューヨークに行く気分です。いくら入浴とニューヨークがホモニムであるといっても‥‥。太平洋を渡り、北米大陸を横断し,その時差は14時間。距離にして約1万キロもあるのですよ。この話はそんな超軽いノリでトランスカルチュラルな経験をしにやって来たコギャルの顛末記であります。
 バブル経済が華やかなりし頃、金満国ニッポンでは海外旅行ブームが起こり、町中に旅行代理店が乱立し、TVドラマは旅行モノが大ヒットした。そのコギャルもそれらに影響され、何とカッチョいい職業であろうかと、尊敬と期待を持って旅行代理店に就職した。しかし、夢とは裏腹に、現実は単調なルーティン・ワークのみで退屈な毎日であった。
 ある時、海外旅行パンフレットを見たら、ニューヨーク行き格安券が目に止まった。ニューヨークは宝塚遊園地のお化け屋敷みたいに恐そうだけど、面白そうなので漠然と選んだ。同時に、留学というコトバが頭に浮かび、英語が自然に100%ペラペラと話せるようになると過信し、留学雑誌の中からマンハッタンの安い月謝の英語学校コースを取ることにした。
 学生ビザI−20を携帯し、晴れのエスノシティーへやって来た。色々な人種の見本市みたいな町中を歩くだけで陶酔し興奮した。黒人を見れば皆マイケル・ジャクソンに見え、白人を見れば皆リチャード・ギアに見えた。簡単に日本人のルームメイトをさがして共同生活をした。最初に学校へ行った日に試験を受けさせられ、10段階あるうち、運悪く一番低い超ビギナー・クラス1に振り分けられて、このクラスで初の日本人になってしまった。が、それでも本人はしごく満足であった。
 授業はABCのアルファベット暗記から始まり、それから1ヶ月後には単語のスペリングや初歩文法へ進んだ。もう、このあたりで英語が全部わかり、話せる気分になってしまった。英語は何と簡単なんだろう。林を見て森を見ずというか、群盲象を撫でるというか。ともかく3か月で卒業気分となり学校をやめた。だが、もっと滞在したいので働ける職場をさがした。昔からイタリア人が集まるところリトル・イタリーといわれ,日本人が集まるところリトル・トーキョーといわれて、そんなところのカラオケ・バーに就職した。
 それでは念のために、そのコギャルのニューヨークにおける一日の行動、様式、習慣を概略的にトレースしてみますと、、、。
 夜が遅いので朝は11時頃に起きる。録音しておいた朝の2時間邦人向けテレビ放送のビデオをまず見る。そして、ニッポンでは新聞なんか読まなかったのに、宅配の邦人新聞の芸能欄にくまなく目を通す。午後、邦人経営のビューティー・サロンで髪をセットし、ついでに邦人の本屋でマンガを仕入れる。太陽が沈み、タイムズ・スクエアのネオン・サインが灯る頃、和服でお店に出勤し、在紐邦人のお客とカラオケを歌う。よってますます日本語は覚えた。閉店後、深夜4時まで営業のラーメン屋に寄り、そして、邦人のハイヤーを呼んで帰宅する。今日も英語は一回も話さなかった。
 ニューヨークでは英語を無理に話さなくても生きて行けるのですね。そんな事、他の外国ではとてもやって行けませんし、アメリカでも他の場所では無理でしょう。ここニューヨークでは他の多くの国々から来た人も日本人以上に大きいコミュニティーを作っていて、それぞれの文化、生活様式も自国と変わりなく過ごせてしまいます。その代表格がチャイナタウンで中国語だけのメニューも店にあり中華思想には恐れいります。
 結局、このコギャルちゃんはニューヨークにいて現地の日本人社会にいただけなのです。ただ日米間の空間を移動しただけで異文化との接触は皆無でした。ところが、このコギャルちゃん、海外留学という肩書をさげ、意気揚々と胸を張って帰国しちゃいました。

 これからが、今回のお話のハイライトです。ついに、帰国して、留学の経歴をさげて、また前の職場に復帰出来、オフィスでは注目の的でした。海外の、それもトレンディーなニューヨークに留学していたのは彼女だけだった。社長も温かい目で見守ってくれ、パンツまる出しの穴あき・ジーンズで出勤しても、ファッショナブルなニューヨーク帰りというので大目にみてくれた。いつのまにか会社では、アメリカ帰りの「バイリンのコギャルちゃん」とささやかれ、本人もしごく満足で鼻が高く、それをあえて否定しなかった。
 ある日、ニューヨークの友達が彼女に電話したら、英語の留守番メッセージが入っていた。「ジス・イズ・イングリッシュ。アイ・アム・マサミ、ピーン・ポー」棒読み英語であった。まったく、彼女のニューヨーク生活を知ってる友達は呆れ返りました。当地で一度も英語を話したことがなかったのに故郷へ帰ったらこれです。まったくのニッパーのバキャもんです。
 そして不幸なことに、ある日、英語の電話が彼女の会社へかかってきた。英語の良く出来るコギャルと、日常より囁かれている彼女のデスクへ回された。周りの同僚もどう対応するかかたずを飲んで見守っていた。「ヤーヤーヤー」と感嘆符を発するだけでマトモな会話は何一つなかった。そして無理矢理にガチャと切り、「今の電話は他の会社にかかってきたみたい」と晴れがましく弁解した。職場同僚の開いた口が塞がりません。留学より遊学していたことがバレてしまったのです。バケの皮が剥がれてしまったのです。
 それからというもの、二度と尊敬の念を受けることはもちろんなく、軽蔑のマナコで見られるようになりました。スペースド・アウトしたコギャルのツルー・ストーリーでした。
(1994年7月22日付、ニューヨーク情報誌OCSNEWS掲載)