What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

タイガー服部レフェリーがアメリカで最後のレフェリング

f:id:cagen10003:20191105195614j:plain 去る9月28日(現地時間)に新日本プロレス主催の『FIGHTING SPIRIT UNLEASHED』ニューヨーク、マンハッタンセンター大会が開催された。満員の観衆を集めてニューヨークのプロレスファンを唸らせたが、この大会は試合前に「タイガー服部レフェリー、ファイナルカウントセレモニー」が行われて、場内から「サンキュー・タイガー」のコールが’起きた。筆者は1985年3月8日付け「ニューヨーク情報誌 OCSニュース」でタイガー服部氏の前史とも言うべき80年代に渡米した日本レスラーのマサ斎藤キラー・カーンや天龍などのマネジャー時代を記事にしたことがあり、それを、今回、私のブログに再掲載する。

全米唯一の日本人
プロレス・マネージャー
タイガー・ハットリこと、服部正

うちのめし、血を流し、ののしり合って、観客の興奮をよりわきたたせる職業———プロレス。タイガー・ハットリはそのマネージャー。

 格闘技(プロレス・空手・ボクシング・柔道・剣道)はケンカである。ケンカには血はつきものである。そして、血は血を呼ぶ。300ポンド以上のマッスルの山が2個、宙に舞い、ヘッド・ロック(頭蓋締め)、アトミック・ドロップ(原爆固め)、フライング・ボディ・シザース(空中胴締め落とし)、コブラ・ツイスト(大蛇締め)、アイアン・クロー(鉄の爪)が唸りをあげて飛びかう。コーナー・ポストの鉄柱へ頭が、ゴムまりのように激突すると、鮮血が噴水のように高く吹きでる。いきなりどぎつい話で恐縮だが、私たち日本人にとっても無関係な話ではない。それは、同胞のことだから。
 凋落の著しいイギリスのオックスフォード辞典に代わって、権威を帯びてきているアメリカのウェブスター辞典で、“WRESTLING”を調べると2種類に大別される。一つは2000年の歴史をもち、東洋の小島でベースボールの興隆以前に最も関心をよせられたエンターテーメントの一つであった“SUMO.WRESTLING”である。もう一つは200年の歴史をもち、見世物の王様であるサーカス・プログラムの一つとしてあったのが独立して、独特の娯楽としてアメリカで発達した“Professional Wrestling(職業レスリング)”である。すなわち、本文ハ、プロレスニ関スルコトデアル。実名ノ方々ノ名誉ヲ毀損シタ場合、筆者ガ責任ヲ負ウモノデアル。

インタビュー抜群の日の丸マネージャー
 1983年の1月。ミッド・ウエストのツインシティーミネアポリスセントポールは、大雪に見舞われ、見渡す限りの白銀の世界にあった。市の郊外にある高い丘上のシビック・センターでは、血なまぐさい闘いがますますエスカレートしていた。1万5,000人の3万個の目玉がとび出し、鬼ガワラのような形相の大男と、大きな日の丸旗を振りかざしてお祭りのハッピ姿の出立に、日の丸入りの特攻隊用バンダナをした男に、目が吸いこまれていた。
 日本人マネージャー“タイガー・ハットリ”は、コーナー・ポストへ登り、観客へ向かって旗を振る。相手レスラーが必死で、旗をもぎ取ろうとして近づくと、旗棒で一つき、喉元へ刺す。マット中央へ倒れた相手を日本人レスラーが、何十回と足で踏み潰す。館内では一斉にあらゆる限りの罵倒語が発せられた。まるで、一冊のスラング・ディクショナリーができるような騒然さであった。それに加えて、リング下の記者席まで、オレンジ、生タマゴ、水入り紙コップ、1セントコインが投げすてられ、足の踏み場もないほどリング上は修羅場化した。ゴングが強要され、試合が強制的に終わる。リングを照らしていたスポットライトが消え出口のドアが開かれる。“視覚のカタストロフィ”を満喫したオーディアンスは“スペクタクルの風景(トポス)”へ余韻を残して、しぶしぶ帰宅の途につく。
 まるで今さっきの喧噪はウソみたいに会場は静まりかえった一方で、地下のドレッシングルームは活気を呈し、TV録画撮りのインタビューが、えんえんと続けられる。
 プロレスの本場、アメリカでは強いだけではトップになれない。現在では強さよりもむしろTVインタビューでの“おしゃべり上手”が要求されるのだ。プロレスが催される地区へ、実際の試合前にTVビデオが続々と流されて、茶の間にいる人々を試合場へ誘いだすカンフル剤の役目をしているのである。スリー、ツー、ワン、スタートで、アナウンサーがマイクロホンを服部氏の前へつき出すと、流暢な英語が、機関銃のように次から次へポンポンと飛びだす。「ミスター・サイトウ イズ ザ タフエスト レスラー イン ザ ワールド。 ヒー イズ ライク ニッサン トヨタ トラックス。ヒズ バディー イズ タファー ザン フォード トラック。 ヒービーッ アップ エブリバディ! ワッハハハ!」

 多数の日本人レスラーがアメリカに来ている。技術的にはアメリカ人レスラーより卓越しているが、トップを取れない理由はインタビューにあるのだ。話すのがヘタなレスラーはまずビッグチャンピオンになれない。そこで、日本人には、日本語・英語に堪能でおしゃべり上手なマネージャーが必要となる。あるプロモーターは「インタビューができない」と言う理由から日本人レスラーは一人も使わなかった。日本人レスラーたちはマネージャーのタイガー服部氏に救われる。
 この夜は、40本ものインタビュー録画撮りを行った。新人のレスラーはどうしても緊張してしまい、「やり直しだ!」とプロモーターからクレームがつく。こういわれたら、トレーニングを休んで家の鏡の前に立ち、表情を作りながら、しゃべり方の練習を繰り返さなければならない。
 代わって、カメラが前に進み、服部氏とレスラーを交代でクローズアップする。口をへの字に曲げ、目をつりあげて、今にもテレビから飛び出すごとく、二人はこぶしを振りあげ狡猾な表現をする。愛国的なナショナリストアメリカ人、ボーイスウト、ガールスカウトを愛するアメリカ人、ホットドッグ、ハンバーガーしか食べたことのないアメリカ人、敬虔なる清教徒アメリカ人、香港が日本にあると思っているアメリカ人、世界一の大都市をニューヨークと信じるアメリカ人たちに、一度見たら忘れないような不気味で高慢ちきな顔は、アメイカ人のアイデンティーをはげしくゆり動かす。

天職をえて豪快に生きる
 人はいかにして職業を選択するのであろうか?昔の人は、二足ノ草鞋ハ同時ニハケナイといい、一つの業に徹しようと説く。万札の先生は、天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズといって、自由・平等を訴え、世間では、職業ニ貴賤ハナイと、プロフェッションを差別するなという。広大なアメリカでも、プロレスラーは約500人位にすぎない。そのなかでアネージャーは20人ほどである。日本人のマネージャーは、タイガー服部のみである。特殊のなかの、特の職業である。
 天職という言葉は、この人のためにあるようだ。アマレス日本代表として、南米アルゼンチンの世界選手権に出場し、帰国の途中、トランジット(通過)・ビザでありながら、ロス・エアポートから、ふらふらと外へ出てしまった。古き良き時代の60年代である。一通り、いろいろな仕事をやりながら、アメリカに来る日本人レスラーの通訳をやっているうち、いつのまにかプロレス・マネージャーになってしまった。全米中をくまなく回り、このミネアポリスでは、毎日が飛行機で試合をやりに行った。火曜から日曜まで、北はウィニペッグ、バンクーバーのカナダから、サンフランシスコ、ロス,フェニックス、シカゴ、デトロイトセントルイスと旅行し、ジェットのなかが生活の場であり、飛行機が嫌いとか、高所恐怖症等といっていられないのである。地球を20周分、ジェットに乗ったという。
 飛行機に関する逸話に面白いことが一つあるという。フロリダのタンパに5年住み、毎週一回、6~7人乗りの小型ジェットをチャーターして往復していた。ある時、満員の客が入り、“お米(金のコト)”も一杯もらい、大入り祝いに、機内に酒を持ち込んでさわいでいた。ワイワイガヤガヤといつものように、パイロットにジョークを飛ばして、からかっていた。水平飛行のジェットの窓から外は真っ暗の眺めであった。ベトナム戦争経験の若いパイロットも、軽くジョークを聞き流していた。調子にのって、次第にキツイ・ジョークを飛ばすようになった。そうしたら、びっくりするようなジョークをお礼にくれたのである。突然、ジェットが上昇したかと思ったら、ついに90度の角度を昇りはじめたのだ。酒の酔いは一気にすっとぶ。さすがに心臓に毛の生えたレスラーも顔面蒼白になった。数十秒急上昇してから、Uターンして今度は急降下をはじめたのだ。パイロットは余裕たっぷりと高笑いしていた。全身からアブラ汗がでて、あれくらい肝をつぶしたことはないという。
 ドキュメントを続けよう。

プロレスで分かるアメリカ人気質
 1978年の夏。深南部のルイジアナ州の有名なニューオリンズを本拠にして、連日、キラー・カーンというレスラーを連れて巡業していた。遠く、ミシシッピーやアラバマまで足を延ばし、ディープ・サウスをくまなく回った。広大なコットン・プランテーションをすぎると、古びた高校の体育館へ到着した。館内は立錐の余地のないほどソールド・アウト(満員)であった。外の熱気と人息きが混じりあい、窒息するような蒸し暑さであった。子供たちが走り回り、大人たちは、急ピッチでビールのアルコール・メーターをあげていた。前座試合が次々に消化されると、いよいよ今日のメイン・イベントの出番になった。服部氏は胸を堂々と張り、日の丸旗をかかげて、レスラーを従えて花道を歩いて来た。紳士・淑女の顔には、あからさまに人権偏見の色が浮かびあがった。カスター将軍を神様とあがめる南軍の地で、南軍対日本軍の憎悪が起こった。恐るべき人種戦争が勃発し、ただの遊行者でさえ、東洋人ならひともんちゃく確実に起こしそうな場所へ、油を注いだのである。試合どころでなく、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。観客が、リング下のポリスのバリケードを破ってリングへ登ってこようとする。何とかして、控室まで戻らねばならない。タイガー服部は旗棒を“くさりがま”のようにブンブンを振り回し、観客をケリ散らすが、次々から次へと、コットンを刈るナイフを持って飛びかかって来る。日本人レスラーは、手あたり次第にパンチを入れ、3,000人の群集は暴動化した。ポリスのピストルが上空へ発射され、ライエット、ライエットを叫ぶ。やっとパーキング場のカーへたどり着くと、見る影もなく、ボコボコに変形させられ、屋根は何十人もが歩いたために、ぺちゃんこになっていた。タイヤ一本はパンクさせられていたが‥‥、一目散に逃げねばならない。アクセルを一杯踏んで、全速力で追いかけて来る群集の中を突破する。ようやく一息つき、バックミラーを見ると、しつこくカー・チェイスして来ているのだ。座席下からピストルを取り出し、万一に備える。イージー・ライダーキャプテン・アメリカが殺された場所である。車の窓から“シット レッド・ネック”と叫ぶ。レッド・ネックのサウスよ! シー ユー アゲイン。
 アメリカ人は単純だから、もうキチガイみたいにエキサイトしてくる。プロレスをやっていると、彼等人間性がわかる。何千、何万を相手にして、集団の意識の流れが、手に取るように分かる。単純だからね。
 ニューヨーク在。リエ夫人とニ児のパパ。