What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

故アントニオ猪木さんと同行の思いで海外取材追悼記!(2)

4回目取材、デンバーで「猪木&アリ歴史的再会」
1994年8月1日(現地時間)アメリカ、コロラド州デンバーデンバー・ホテルにて、猪木とアリが6年ぶりに歴史的再会を果たした。
 この日、新日本プロレス側からは猪木さん、レスラーのマサ斉藤、永島企画部長と通訳のケン田島氏が現地入りして、テレビ撮影でホテルにいるアリとの対面へ向かった。今回のアリとの交渉をとりもったWCW幹部エリック・ビショップ夫妻が出迎えてくれた。ロビーではパーキンソン病を患っていたアリが得意のクラッシックをピアノ演奏していて、そばには夫人が立っていた。猪木さんが近づくとアリはその存在に気づき、驚いて立ち上がると、お互いの再会に嬉しそうに抱き合って、自然とパンチの姿勢をとった。ブリティッシュ発音の通訳田島さんを介して会談に入り、猪木さんは世界平和の理念について30分語った。そして、来年の北朝鮮での大イベントにアリの参加要請したところ、アリもこれを快諾。猪木さんはコメントで「アリも私も目指しているところは一緒で世界平和の実現で一致している」と述べた。

5回目取材、「猪木&小川直也・オランダ遠征」
1997年10月25日(現地時間)「アントンとOちゃんが世界最大アムステルダム ”飾り窓”風俗街を散歩!」

売春婦とプロレスラーは人類最古の職業である。(筆者)
 アムステルダムには、世界の文明国の中で最大の官庁公認 ”レッド・ディストリック”(赤線区=売春街)がある。
 初めてオランダ・アムステルダムを訪問したのは、80年代にオットー・ワンツ主宰 CWAドイツ・ブレーメン大会後に立ち寄ったときであった。それから90年代始めに、当時、前田明 ”リングス”でオランダ出身の世界サンボ・チャンピオンのクリス・ドールマンが王者となった時で、アムステルダムのドールマン道場がこの ”飾り窓”地区の運河に面したビルの6階にあった。取材後、この町の知名人で顔効きドールマンが風俗通りをくまなく案内してくれた。次ぎに訪問したのが97年10月、アントニオ猪木さんと小川選手たちとであった。
 1997年10月25日、猪木さんと佐山(タイガーマスク)と新日本プロレス取締役で、通称 ”ゴマシオ親父”の永島勝司さんと、小川直也選手が3メートル程の長い”闘魂棒”をかついでスキポール空港に到着。小川はこの年に猪木が設立したUFO (世界格闘技連盟) に入団してプロ格闘家に転向していた。それ以来、猪木さんの付人を務めて、4月12日のデビュー戦で橋本を STO から裸絞めで初勝利していた。いつでも、この ”格闘三銃士”は行動をともにして格闘技が盛んなオランダ遠征へやってきた。10月シリーズから新日本プロレスの本隊の巡業に帯同していた小川にとって ”卒業旅行”であり時間に余裕のあるのんびり旅であった。次ぎの日の午前中に市内の観光名所 ”アステルダム・パークの風車”や ”画家レンブランド像”を見学した。夜はバート・コップスJr・ジムでミュンヘン五輪柔道2階級制覇の ”赤鬼”ことウィリエム・ルスカが小川選手と柔道着でスパーリングを行う予定となっていた。その前に市内のレストランでランチをとった。食後に猪木さんを先頭に日本人総勢10名が大名行列のごとくぞろぞろと散歩した。運河に面したその一帯は昼間からケバケバしいネオンサインが点滅し、世界各地の男女の観光客が好奇心旺盛に見学している飾り窓地区へ足を踏み入れ、セックス・ミュージアムマリファナミュージアム、ポルノショップ前を通過した。そこら中の飾り窓小部屋からセクシーな娼婦が投げキスやウインクを飛ばしてきて、公然と客と交渉してカーテンが閉められているガラス越し部屋ではまさにスワ~~ヒヒ~と行為の最中である。猪木さんもゆっくりと目尻を下げて観光した。「この金髪女性の腰つきはいいネ」などと言い、”Oちゃん”こと小川選手が嬉しそうに聞いている。この店が面白そうだといっては ”大人の店”へ入り、巨大な模造男根を手にしながら猪木さんは値段を聞いた。ポルノショップ店を出てから、一行は屋外のコーヒーショップのテーブルに座って、Y談に花を咲かせて、猪木さんは、「うちの若いヤツらは、気軽に “ヌキ”でソープとかに行ってるらしいが、オレはそんな場所にには行けないからね、、」としんみりと口にすると、佐山さんも深く同情した顔つきで、相槌を打ち「それならマスクをかぶったらいいのでは、、?」と言うと「ティグレ*、それは名案だね」と猪木さんが真剣に返答したので、我々は大笑いした。すると遠くで日本人観光客が「キャ~~ア、イノキだ!」といって騒いでいる。場所が場所だけにファンの方は気恥ずかしさを感じてか声をかけていいのか迷っている。こういう場合、猪木さんは実に泰然自若として悠然とかまえている。その内に勇敢な一人の日本の若者がおもむろに猪木さんに近づいてノートを差し出してサインをせがんだ。猪木さんはニコニコと微笑しながら握手して、力強く”闘魂”とサインをすると喜びいさんで早足で立ち去った。そして、ワイ雑な風俗街をおのぼりさん丸出しで散歩を続けた。我々も、また、鼻の下を長くのばしながら従った。

*、猪木さんはタイガーマスクこと佐山に対してティグレ(スペイン語 “トラ”の意味)と呼んでいた。


6回目取材「カリーフラワー・クラブ懇親会」
2001年2月10日(現地時間)、アメリカ、ネバダ州ラスベガス、リビエラ・ホテルで「カリフラワーアレイ・クラブ」第35回記念懇親会が開催された。ロス在住の猪木さんは特訓中の安田忠夫を連れて出席して、栄誉なる格闘技賞を受賞。ファンやレスラーたち約500人が出席して、猪木さんは往年のレジェンドのデストロイヤー、ニック・ボックウインクル、スチュ・ハート等と写真に収まった。