What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

マコト君(20歳)の青春ニューヨークYMCA滞在記

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
 一物(ポコチン)を握られ、詐欺師(コン・マン)にあい、自転車(チャリンコ)を盗まれ、善良にして従順なこの日本若者にとって、まことに、生き馬の目を抜くニューヨークであった。読者諸氏も抜かれないようにお眼をよく開いてお読みください。

YMCA
 日本人にとってYMCA(キリスト教青年会)とは健全な施設であり、ニューヨーカーにとってはロック・バンドの “ヴィレッジ・ピープル” を連想する。英語は得意であった。そのうえ、2年間の浪人中に英会話は徹底的に習った。20歳の青春を留学にかけることにした。日本で海外生活本「ニューヨークに住む」を読むと、アンハッタンの23丁目マクバニーYMCAは、プール付き、サウナ付きで安いと紹介されていた。さっそく、手紙を出したら、いつでも住めるという返事が来た。喜び勇んで故郷の岩手県盛岡を飛び出し純粋無垢な心をもって当地へやって来た。
 アンダーグラデュエイト・スクールヘ入学して学校の寮に入るまで、YMCAに住む予定でいた。月500ドル、ジム、サウナ、プールが使い放題で、映画鑑賞会が週一回催されていた。ただし部屋は狭く、シャワー、トイレは共同で、その上、ネズミは出るは、ホームレスは出るはで、◯◯◯は出るはで、冷汗三斗、悪戦苦闘の生活であった。
 ある階の白人が部屋を見せてくれるというので、ついていった。するとウルんだ目で抱きつかれ、まだ誰にも触らせたことのない大事な一物をギューと握られ、青息吐息で必死に脱出した。また、セキュリティーがいるはずなのに、いつもトイレで裸になり、体を拭いているホームレスがいた。ビッグ・アップルをくまなく見学しようと新品の自転車を買ったが,四回とも盗まれた。だから、寝る時以外は徒歩でチェルシー区のYMCA付近をブラブラしている方が気分晴れた。

親切な日本人気分
 初夏の生暖かい風が頬をなぜるある日、ハドゾン河越しに太陽が沈み、街路灯がともる頃だった。大通りの23ストリートはパトカーや救急車や消防車がサイレンを鳴らして走り、歩道は仕事帰りの人が多く歩いていた。散歩がてらに歩いていると40歳ぐらいのヨレヨレのスーツを着た黒人のオッチャンから突然声をかけられた。「ハロー、ハロー、ハロー、この辺にホテルはないか?」。「ホテルならこの付近にいっぱいあるけれども?」と答えた。そしたら、「私は,今、南アフリカからニューヨークに着いたばかりで,アメリカに留学している息子が大事故に遭遇し、お金の都合がつかないから飛行機で飛んできた。」と悲痛な面持ちでいう。「それで金を持っているのでホテルを教えてくれないか?」とポケットからドルの札束をチラッと出して見せた。実際にゴムで無造作にくくってあった。つい日本人的な親切心でもって「そんな大金を持っていたら危なくて、盗まれるから、明日口座を作って銀行へ入れといた方がよい。そうすればキャッシュ・ディスペンサーで下ろせるから?」と忠告してやった。
 いい日本人となり善人の気持ちで注意してやった。すると、「私の生まれた村ではそういう機械はない。機械で現金が出てくることはない。ウソだろう。あなたは私をダマかそうとしているだろう。本当なら100ドルをあげる。」と言った。それならと近くの銀行の現金引き出し機械へ一緒に行き、自分のカードでポンポンとキーを叩き、試しに20ドルを出して見せてあげた。「ホラ、20ドルが出て、この機械は本物でしょう!」といってやった。すると「マジック!」と言って拍手し大喜びをした。「アメリカや日本にはこんなに便利なモノがあるのだよ!」と自慢してやった。
 それで「今、荷物がJFKに置いてあり、取りに行って、すぐ戻って来るから、この現金を預かってくれ。」と言われた。エッと思ったが、タイヘンな人で、何か事情があるのだなと思った。お互いに遠い国より来て、この異国のニューヨーク空下で自分を信じてくれたのだ。これも国際親善の架け橋となって、善行の一つとなればと自分に言い聞かせた。そのまま札束を預かってポケットへ入れようとしたら、「ちょっと待て、現金のままだとお前が誰かに襲われた時、すぐ渡してしまうかも知れないから、お前のサイフと一緒にこの紙袋の中に入れ、シャツの中に隠しておいてくれ」と言われた。
 普通のデリカテッセンのブラウン紙袋であった。言われたとおりサイフを出し、目の前で、差し出された袋の中へポイと投げ入れた。それでは確かにこの袋を頼むと手渡された。念のためにYMCA住所と名前、日本の住所も書いてあげ、「グッド・ラック!」と重い握手をした。空港からタクシーで戻って来たら、すぐYMCAへ戻るからとイエローキャブで立ち去った。
 すぐYMCAへ戻ると一目散に、知り合った日本人の部屋をノックし、「すごいコトがあったのだけど‥‥?!」と話した。大事に預かっている紙袋を開けて見せようとした。固唾をのんで袋を開き金を取りだすと、ただの新聞紙の束が出てきた。「ア〜〜〜〜〜ァ、サイフが盗まれた!」とパニックに陥った。大きなタメイキが出た。ニューヨークに来てまだ一か月頃の出来事である。サイフには40ドルとキャッシュ・カードが入っている。シークレット番号は分からないだろうと構えたが、万が一、ヤバいと思って銀行へ連絡した。アカウント・クローズしたいというのに明日の朝までダメだという要領の得ない返事であった。
 次の日に調べたら、一日、最高500ドルまで下ろせるので、二日分合わせて800ドルが引き下ろされていた。合計840ドルの損害だった。日本円にして9万円である。食事なんかも一日一回で我慢していたのに、、、。本当に慎ましい生活をしていたのに、、、。自分の住所もちゃんと教えて、いい人になっただけだったのに、、、。冷静になって考えてみると、カードを使った時、背後にいて番号を盗み読みされてしまったのだ。そして、同じ紙袋を二つ持っていて、渡される時、スリ変えられてニセの方をつかまされたのだ。ロバート・レッドフォード主演映画「スティング」がある。まさに、その映画どおりの手口であった。黒人のプロ詐欺師によるアフリカの袋ゲームでまるで子供のようにダマされたのだ。世界最先端のニューヨークで学問を学ぶ前に、street wise(路上学問)を身につけなければサバイバル出来ないと痛感した。
 その後,その犯人を道で見かけた。食ってかかろうと思ったが、たとえ、文句をいっても水掛け論で、へたに武器でも所有していて危害を加えられたら大変なので、涙をこらえてガマンすることにした。ともかく「どえらい街」へ来てしまったものだ。まったく「現代のバクダット」でありダッジ・シティーだ。そういえばこの街は俗語で「Helluva Town」とも呼ばれている!
 Looking good, nippers and so long, suckers!
(1994年6月24日付、ニューヨーク情報誌OCSNEWS掲載)