What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

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元WWWF世界ヘビー級王者「ラテンの魔豹」ペドロ・モラレスが死去!


「ラテンの魔豹」ペドロ・モラレス(76才)が2019年2月12日に死亡した、とインターネット・ニュースに掲載された。WWEの死亡記事等によると、本名、ペドロ・アントニオ・モラレスは1942年にプエルトリコのクレバラで生まれ、少年時代に家族と共にニューヨークへ移り住み、YMCAでミグエル・ペレスやアントニオ・ロッカからプロレスの手ほどきを受け、17才でプロ・デビューした。以後、燃えるファイトと華麗な空中殺法の使い手としてWWE(前、キャピトル・レスリン社)に在籍。60年代中期にロサンゼルスのWWAへ移籍して大スターになった。1971年にWWE(前WWWF)へ復帰して、MSGでイワン・コロフを破り第4代WWWF世界ヘビー級王者に就き、「人種の坩堝」のニューヨークでラテン民族のヒーローと崇められる。1974年、サンフランシスコのNWA、フロリダのNWAやミネアポリスAWAへ転戦して、1980年にWWE(前WWF)に戻り、WWF世界タッグ王座、インターコンチネンタル王座を獲得して初の「3冠王」王者となる。1987年に引退して、その後、WWF放送のラテン語解説者となり、1995年に名誉のWWF殿堂入りを果たした。
日本には1966年に初来日して日本プロレスに参戦、以後、全日本プロレス新日本プロレスで試合をして、馬場と猪木と激闘して観客をわかし、1985年が最後の来日となった。
私生活では1966年にカレンさんと結婚して、ニューヨーク郊外のニュージャージー州ウッドブリッジに居住して、アパート経営をしていた。最近はパーキンソン病を患っていた、という。
2000年初期には、ニューヨーク周辺で多くの「レジェンド」サイン会が開催され、モラレスは常連であった。私に会うと、いつも、ニコニコ顔で「日本のプロレスの景気はどうですか?」「日本のファンの皆様へよろしくね!」と気楽に話しかけ、親しく接してくれた。写真は2005年6月18日のニュージャージー州カータレットのホリデーインで開かれた超大型のサイン会で、左からカルロス・コロン、ブッチャー、モラレス、ホセ・エストラーダ、S・D・ジョーンズと豪華なプエルトリコ出身の多彩な顔ぶれを収めた。ご冥福をお祈り致します。 


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