What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

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米国での「ザ・デストロイヤーさん」の思い出!

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デストロイヤーとレジェンド達
日本で力道山と名勝負した覆面の魔王「デストロイヤー」さんの死去のニュースを3日前に日本のインターネットで知った。
私は米国に約30年間滞在して、主に、プロレスの写真撮影に従事していた。デストロイヤーさんとは5〜6回会ったことがある。レジェンドのサイン会や、殿堂入の際やブラッシーの葬儀などである。素顔のデストロイヤーは僭越ながら、男前とは少し程遠く、丸い赤鼻にブルドックのような顔付きで、声はガラガラのダミ声であったが、精悍な雰囲気を持ち、いつも、誠実に接してくれた。
2003年5月に「プロフェショナル・レスリング・ホール・オブ・フェイム&ミュージアム」(1999年創立、主宰トニー・ヴェラノ)の「2003年度の殿堂入り式典」がニューヨーク州アムステルダムの高校講堂で盛大に催され、デストロイヤーさんと共に伝説の有名なレスラーが一堂に殿堂入りを果たした。写真は、まだ、若若しかった頃のレジェンド達である。残念ながらもう、彼らは皆、この世にはいなく、天国でもプロレス談義に花を咲かせているのだろう。左から、AWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクル(2015年、80才没)、「殺人鬼」キラー・コワルスキー(2008年、81才没)、デストロイヤー(2019年3月7日、88才没)、AWA創立者バン・ガニア(2015年、89才没)。
最後に会ったのは2003年6月6日に、「銀髪魔」フレッド・ブラッシー(85歳)が死去して、住んでいたニューヨーク州スカスーデールの町のヒチコック・プレステビリアン教会で葬式が催され、WWE会長のマクマホン夫妻と交じって、憔悴した姿のデストロイヤー夫妻も参列していた。私を見るなり、どこの報道関係かと聞かれ、「ベースボール社のウィークリー・プロレス・マガジン」と答えた。すると、雑誌に掲載されたら、送ってくれと言われて、名刺をもらい、そこには日本語で「デストロイヤー・カンパニー」と記されていたが、「子供達にレスリングを教えていて、夏にはサマー・レスリング・キャンプもしているので、取材に来て」と要請された。後日に貴重な一冊の週プロを送ったのは言うまでない。
ご冥福を祈ります。