What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

ホームレス・シェルターで子供を産んだ日本女性!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口

アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ” この言葉ほどぴかぴかと光り輝き夢を喚起させる言葉はない。
アメリカ合衆国へ1日に130万人、飛行機2千666機、車34万8千台、船舶520船が国境を通過して入国してくる。隣国メキシコ人口100ミリオンのうち40%が貧困である。国境の向こう側には世界一豊かな “アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ” がある。ホゼには25才のとき、生活と家族のため、アメリカに密入する以外に生きる道はなかった。ある日、着替えの衣服と少しのペソとわずかのダラーを手にして故郷をあとにした。彼らは、毎年1万人以上が不法入国で逮捕され、過去5年間で、400人以上が国境越えで死亡している。メキシコ国境から一番近いアメリカ側道まで80キロでアリゾナの砂漠は乾燥土と少しの岩で、日昼は40度近くもなり、夜間は零下となる。深夜、山で “コヨーテ” となり、川では “ウェットバック” になり、破れた金網へ潜り込み、ボーダーパトロールの目を盗んで密入国できた。やっとL.A.まで辿り着け、そこで故郷の仲間と遭遇し、イースト・コーストでよい仕事の口があると聞いたので、グレハンに飛び乗り3泊かけてヌエバ・ヨークへ着いた。
 A子さんは子供が大好きで日本では幼稚園の先生をしていた。春には入学式、秋には遠足やブドウ狩りがあり、学園の行事に追われてあっという間に10年も経過して、ふと、このままの人生では何だか寂しいと思った。学生時代にハワイへ行っただけだが、外国へ行って自分を試したかった。留学センターでニューヨークの語学学校を紹介してもらった。この街の物価は東京以上に高い。アパートも平均15万円する。日本から持参したお金はまたたく間に底をつき、この国で住むにはバイトをやるしかなかった。日系のスーパーに置いてある無料の新聞へ目を通したらジャパレスとクラブの求人募集がたくさん載っていた。面接へ行き、即座に採用されてジャパレスのウェイトレスになった。
 ところでアメリカ経済を支えているのはイリーガルな人々であり、ニューヨークの3Kも然りである。ニューヨークのレストランや八百屋には必ずイリーガルな人々が働いている。なかでも最も多いのが南米出身の人々である。スペイン語を母国語とする人々だ。彼らはジャパレス社会で “アミーゴさん” と呼ばれている。70年代ぐらいまでは1ドル360円時代にアメリカでお金を稼ごうという日本人の若者がいっぱいやってきた。80年代になると日本がバルプ景気で、一ドルが100円以下となり、わざわざアメリカまで苦労してお金を稼ぎにくる人も減った。だが一方でアメリカのヘルス・ブームの波に乗り、スシバーやジャパレスが雨後の竹の子のように出来た。日本人の人手不足に代わってスパニッシュがどっと日本人職場で働くようになった。それも、キッチンヘルパーやコックから寿司の板前まで、日本人従業員にまじって働いている。中には坂上次郎そっくりな顔付きで、日本語を上手に話し、ネジリ鉢巻で、“イラッシャ〜イ!” と渋い声を出してスシを握っているアミーゴさんの板前さんもいる。
  A子さんは毎日、毎日、職場でアミーゴさん達と顔を合わせ、一緒に従食をいただき、一緒に冗談をいいあった。その内の一人のホゼと熱烈な恋愛関係となった。日本人の男性と比べると、とても陽気で純粋無垢な心を持っていた。そんな人と出会ったのは初めてであった。絶対に、人を騙すとか、人を裏切るとかの感覚はまったく持ち合わせていなかった。まるでターザンのような、高貴な自然児のようにみえた。やがて、二人はクイーンズ地区ジャクソン・ハイツというスパニッシュ系移民が多い町で同棲し、いつしか彼女は妊娠した。不幸にもその間、二人の職場が閉店し失業してしまった。彼女のお腹は日増に大きくなり、日増しに生活に困った。日本の両親の反対を押し切って一緒になり、今さら親からの援助を頼れなかった。お互いに不法滞在であり、二人共どうしたらいいか途方にくれた。彼女も愛する彼との子供であり、絶対に生むことを望んだ。病院の初診費300ドルは何とか工面した。これから妊娠5ケ月目よりは4週間に1回、定期検査へいかなければならない。ニューヨークで保険なしで子供を生む場合、出産費だけで2万ドルはかかる。その上、帝王切開ともなれば3万ドルはする。そんな金はどうみてもなかった。ホゼは同郷の人々が通っている近所のカトリック教会へ相談した。神父が地区のコミュニティー・サービス・センターやソーシャルワーカーへ連絡してくれた。ニューヨーク市の法律では、何人も無収入でシングル・マザーの場合、病院から出産まで無料となり、その上、出産後は無料のミルクとおむつが支給される。やがて彼女はシングル・マザー専用のホームレス・シェルターを紹介され、そこへ入居して子供を生んだ。生まれた子供は L.A.のAからとったエンジェルと名付けた。
今でも L.A.-サンディエゴ間のハイウェイ5号線には “横断者に注意!” の標識が立っている。
(1985年5月5日)