What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

ニューヨーク・パンクロックの殿堂 ”CBG(OOD)B(YE)” が閉鎖!

わが町 E.V.(イースト・ビレッジ)から、また、一つのローカルカラーが消滅した!

 60年代のアメリカで “セックス・ドラッグ・ロックンロール” を合い言葉に、融通の効かない大人の社会に対して “ノー” と言い、反文化、反体制、反ベトナム戦争を標榜するカウンター・カルチャー(対抗文化)が起き、やがて若者たちのヒッピー運動となった。そのヒッピー聖地がSFのヘイト・アシュベリー通りとNYのロウアー・イースト・サイド地域のE.V. (イーストビレッジ) 区であった。タイダイのTシャツとベルボトム・ズボン姿でこの町を徘徊し、ロック殿堂 “フィルモア・イースト”(6ストリート&2アベニュー)でジャニスやジミヘン等のコンサートが毎週催されロック・ミュージックが爆発した。
 1973年、ベトナム戦争に敗戦し、その上、オイル・ショックで、この国の未曾有の経済危機となり、75年にNY市は財政破綻して売りに出され暗い時代へ突入した。73年にヒリー・クリスタル(現75才)がバワリー通りでライブハウス “CBGB” をオープン。バワリー通りは市内最大の野宿するホームレスBums や Wino(ワイノー=アル中)のたまり場で治安が悪く月レントはたった600ドルであった。
 77年に、時代の反逆精神でもって、より過激で、よりアナキーで、よりハードコアなパンク・ロックが登場し、CBGBの常連バンドでBlondie, The Velevet Underground, Television, Ramones や歌手詩人パテ・スミスなどがNYアンダーグラウンド・シーンのシンボルとなり、CBGBがパンク聖地となる。また、パンク・ファッションが流行する。
 80年代、NYのロウアー・イースト・サイドのABCランドへジェントリフィケイションの波が押し寄せ、大不動産屋が次々と古いビルや空き地を買い漁って新しく高級アパートビルを建設し、ヤッピーという若いお金持ちの社会階級がなだれ込んできた。それから、20年後、この国の経済繁栄を背にして、今度はNY最後のフロンティアのバワリー通りへ第二のジェントリフィケーションが押し寄せ高級コンド・ビルが軒並み建設されている。2006年、現在、レントが$65,000まで急騰し、多くのミュージシャンがCBGB救済コンサートを開いたが、むなしくクリスタル氏は継続を断念し、貴重な壁の落書きや内装をそっくり2008年オープン予定のラスベガスCBGBミュージアムへ移すことにした。10月15日、最後のフェーウエル・ライブ・コンサートが開かれ柱冠詩人パティ・スミスが歌い、また、わが町 E.V.から一つのローカルカラーが消滅した。
 期しくも今年、2006年はパンク・ロック生誕30周年であった。