What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

ニューヨーカーのマネして口唇を切る!Why?

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
 1990年末のニューヨーク。ニューヨーカーの出勤時に革命が起きた。スニーカーブームである。
 あるヤングOLが念願の初ニューヨーク・クリスマス観光旅行にやってきた。時差ボケのため朝早く目覚めたのでホテルのまわりを散歩することにした。初冬の清々しい朝であった。空を見上げるとスカイ・スクレーパーの谷間からほんの少しだけみごとな青一色の空が浮かんでいた。目を下げるとまさに、気持ちのいい風がほほに当った。これから喧噪たるニューヨークの一日が始まろうとしていた。朝のラッシュアワー・タイムである。世界の一流高級店が立ち並ぶフィフス・アベニューの店鋪はまだ頑丈なゲートで閉ざされていたが街路はきれいに清掃されていた。イエロー・キャブが急停車して客を下ろした。バスから、地下鉄の出口から、人々が路上へ放り出され小走りに車と車の間をぬって赤信号中の道路を横断していく。車も負けずに赤信号を無視して人込みの中へ突入してくる。よく見るとスーツのOLはハイヒールを脇に抱えて、皆、颯爽とスニーカーをはいて歩いている。私はそんな朝のニューヨークの日常光景の一コマを驚きと羨望のマナコで持って眺めていた。すると、ある事に気がついた。私はあのニュートンの「リンゴが落ちた法則」に匹敵するぐらいの大発見をした。我ながら鋭い路上観察者であると自負した。つまり、少なからずコーヒーを飲みながら歩いている人を何人も発見したからだ。フランスならあの長くて硬いフランスパンを食べながら歩いているように、アメリカではコーヒーを歩きながら飲むのだ。それにしても、皆、あんなに早歩きしながら飲むなんて、「う〜わ、何だか、カッチョイイ! 私もやってみた〜い?」といたく単純に感動してしまった。日本ではこんな習慣はないが、ここは喉も乾いたことだし、ちょっとニューヨーカーのマネしてみようと思い立った。ブラブラと歩いてコーナーに「デリカテッセン」があった。朝食のサンドイッチやコーヒーを買う人の列が長く出来ていた。ハムやチーズの入っているガラス・ケース越しに、褐色で精悍な顔の南米系の店員が働いていた。いつか、雑誌のニューヨーク特集にあった「アミーゴさんだ!」う〜わ、嬉しい。やがて白の衛生帽子を被った店員が「Next!」とさけんだ。「Amigo〜サン、Coffee, Please!」とオーダーした。言葉が通じたようだ。ニコニコしている。それで、早口に何とか聞き返されたが全然わからなかった。アミーゴさんは調理台の上へコーヒーの紙カップを置き、ステンレスの長方形で蛇口がいくつも付いている湯沸かし器のコックの一つをひねると、湯気をたてながら熱そうな琥珀色の液体がカップへなみなみと注がれた。次にコーヒーがレジへ廻され、キャッシャーの韓国人らしきオバさんがティッシュペ−パーとともに置いてくれた。値段がよく解らないので5ドル紙幣を渡すと4ドル25セントのお釣がきた。「うわ〜、たったの75セント!」それに日本のよりボリュームがあり、ずっしり重い。日本の駅前などで売っているコーヒーより紙カップ自体大きくて量も相当ある。すでに熱いコーヒーが空気穴から滲み出ている。あああ、やっとコーヒーが買えた。おいしそう〜。ウレッピー!!
さて、人混みの流れにのりながら歩き出して、コーヒーを飲もうとしたが開ける所がわからない。フタへ目をやったが飲み口が見当たらない。少し立ち止まりながら首をかしげて思案した。周りを見たらどうやら自分でフタの端を切って小さな穴を開け飲んでいる。ぶきっちょな私であるが、左手の親指と人差し指でカップを持ち支え、右手の親指と人差し指で思いっきり裂いたが厚くて硬くて白のプラスチックのフタは一向に破れない。何回もトライして、やっと何とか小さな亀裂ができた。それで少しずつノコギリの歯のようなギザギザなアナが開いた。「さ〜あ、これからニューヨーカーのように歩きながら飲もう!」それにしても、クジラではないが片方の目を人混へ向け、もう一方の目をコーヒーへ向けねばならない。よたよたと歩きながらバランスを崩し、一気にカップを口へ持っていき、アントニオ猪木のごとく顎を突き出して唇を鼻にくっつくほど押し上げ、吸い込んで一口飲もうとした。その時、余りにも力任せに強く押し付けてしまった。すると、顔へ激痛と戦慄が走った。「キャ〜ア、イタイ!」フルーツ・パンチ・ジュースのような鮮血が「ドッバ〜ア!」と口のまわりから吹き出した。「ウ〜ワ〜、大変〜〜!」立ち往生し、恐怖に顔面蒼白となった。たとえ、プラスチック製のフタとはいえ、硬質な物質であり、鋭角な刃物のようになっていたのだ。唇が深く抉り取られて裂け、おろしたての白のジャケットと白のブラウスへも鮮血が飛び散り出血は一向におさまらない。動悸が高まり苦痛が走り路上へしゃがみこんでしまった。親切な通行人が何人も声を掛けてくれた。誰かが救急車を呼んでくれたようだ。2〜3分でサイレンの音がして救急車が到着した。タンカーへ載せられ、数時間後には包帯を口へ巻かれて病院のベッドに横になっていた。全治1週間の傷で唇を4針も縫った。命に別状がなかったので幸いであったが、、、。私は何とニッポンのパーな子なのであろ〜う、余りにもそのミーハーで軽率軽薄な行動に、我ながら強く悔悟の念にかられた。自分のふがいなさとはいえ、ニューヨーカーのマネをしようとして、とんだ災難にあってしまったのだ。きっと、ニューヨークの土地の精霊にたたられたのかもしれない。「自由の女神様、ご免なさい!」とコウベを南へ向けて垂れる私であった。(1992年12月18日)