What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

愛と幻想のニッパー・ヤング OLの歌

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
 少女マンガの主人公に恋をし、そのイメージを現実世界のなかで見つけて求愛し、近い将来、結婚まで考えているニッパー・ヤングOLの歌。

少女マンガ「風と木の詩
 まんが、漫画、マンガ、MANGAは日本が世界へ誇る立派なアートである。ロー・アートといわれながら、その独自の表象スタイルは子供、青年はもとよりヤング・オヤ(若いオヤジの略語)からオールド・オヤまで、常に彼らに新しい知性と感性をさずけた。日本のマンガは時代を映す鏡であり、時代を読み取るアンテナである。戦後、マンガというメディアが確立されて四十年あまり、現在、日本の全出版物の三分の一を占め、「少年ジャンプ」だけで五百万部も売れている。
 70年代は「少女マンガ」の黄金期といわれる。秀逸な才能あるマンガ作家が続々と輩出し、少女マンガを大きく変貌させた。俗に団塊世代に属する「花の二十四年組」と呼ばれる一群の女流作家たちである。それまでの古典的少女マンガが社会から隔離された純粋無垢な世界を描いていたのに対して、より少女たちのドロドロした日常性をテーマに取り上げて、独特の表現スタイルを開拓した。後年「新少女マンガン」といわれたものである。その中の一人に竹宮恵子がいる。竹宮は当時、社会通念としてまだタブー視されていた少年同士の恋愛「同性愛」をモチーフにし、その代表作品「風と木の詩」となった。

少女のような少年
 さっそくヤング・オヤの私は、その本を入手すべく摩天楼に舞い降りる雪をものともせず、一目散に日本語書店へと足を運んだ。ラッキーにも数巻がレディーズコミック・セクションに置かれていた。第一巻を購入し、紐解いてみた。いうまでもなく登場人物は白人の少年たちであり、それは少女のような少年の美しさであり、少年のような少女の体である。カールした頭髪、大きな光り輝く瞳、長身で痩身で通った鼻筋、まるでスタイル画やファッション画のような西洋人形的な姿態。少年にもかかわらずリボン・タイと大きなヨークのブラウス、ハイ・ウェストの細ズボンが細い線で幻想的に描かれている。
 ストーリーは学園モノである。1880年、南フランスのプロバンス地方におけるへんぴなカトリック系中高校生全寮制男子「ラコンブラート学院」が舞台である。セルジュという白人とジプシーの混血の新転入生が、この学園の問題児で小悪魔のジルベールのルームメイトとなることから物語展開する。二人の主人公の友情、心の葛藤、恋愛、試練、同性愛という波瀾万丈の学園生活が延々と描かれてる。
 ジルベールは奔放で非現実的なエゴイスティックな性格なのに対して、セルジュは心優しい、親切な性格で、何かと友好なルームメイト関係を保ち、ジルベールが皆と仲良く生きてゆけるように努力するが、徹底的に苦しめられ、セルジュの苦労を水の泡と帰せしめる。とうとう最後にフラワーコミック版十七巻でジルベールは死亡し、セルジュはジルベールの存在を永遠に抱くというストーリーである。
 巻末にユング系心理学者河合隼雄さんの解説が付いているので要約してみよう。
 「“風と木の詩”は、少女の内界を描いた傑作である。少女の内界の深層には少年たちの群像がある。第一巻は女性が一人も登場しない。時代も場所も、現代の日本から離れたところに住む少年たちの姿こそ、現代の日本の少女の内界の住人としてふさわしいのである。二人の少年、ジルベールとセルジュが主人公であり、最後には一人が死亡し、一人が残ることになるが、それは、少女の時代の終わりを告げるものなのである。二人はまったく対照的性格であるが、二人の存在は、内界において、もつれ、合体し,触合し,反発し,ねじれ、そして存在している。その存在の様相を意識的に捉えようとするなら、意識の世界において“同性愛”と呼ばれている形をとるのが、もっとも妥当であろう。この場合,“同性愛”とは、道徳、不道徳の判断以前の現実なのである。本書はあくまで、少女が大人へと成長してゆく時、その内界において生じる現象を描いたものとして見る方が、ほどよく了解できるのである。長い長い、十七巻にも及ぶ、二人の少年の葛藤の末、一人が死に、生き残った一人は死んだ方の少年を永久に忘れることなく生きるという筋道は、適切に少女の成長の軌跡を物語っている。」という具合にこの作品を心理的分析的な見地より照射している。

すてきな王子様
 仮名A子(23歳、岡山県出身)さんとしておこう。子供の頃から現在までの生き様を順を追って聞いてみた。
 「生まれも育ちも岡山県の田舎でした。小学校の頃より、自分一人で部屋にいるのが好きで、ファンタジーでメルヘンチックな童話やマンガを愛読してました。よくある王子様のストーリーのようなものが大好きで、苦境に立ったお姫様を堂々と救い出してくれる、やさしい力強い王子様のような男性に惹かれました。中、高校生になると、クラス内で男子とのおしゃべりはしていましたが、自分から特別に積極的につきあおうなんて思ったことはなかったです。はっきり覚えているのですが十五歳の中学三年の時です。友達の紹介で「風と木の詩」を知り、無我夢中で塾読しました。もう本当にすごく衝撃で、高校の初めまでに、全巻を通読し,何よりも魔性をもった主人公のジルベールに激しく魅せられてしまいました。その頃って身体的にも精神的にも人生で一番感受性の激しい時ではないですか。高校を卒業して大阪の会社へ就職しましたが、意地悪な先輩や同僚ともうまくいかず、はやくお金をためて海外へ出たいと思っていました。だから、じっと会社に耐えていやいやながらOLしていました。結局四年いて、暮れのボーナスを貰った日に辞職願いを出して辞めました。
 何か寂しい時とか,悲しい時にフッーと、ジルベールのことがココロの片隅に浮かんで、それで外国に行ってみようと。それで,ヨーロッパのフランスもいいけど言葉が難しいそうだし、イギリスなら音楽がいいのでロンドンへ行きたかったけど、アートもしたいので、それならニューヨークだというのでニューヨークに来ちゃったわけです。5月31日にニューヨークに来て、学校の寮に入り、夏の英語サマーコースをNYUで勉強して,ある夜、遊びに行ったらジルベールみたいな恋人が出来、えっと、すぐ結婚までハナシが進んじゃって、ウレピー?です。もう信じられない!?」

現実と夢の重複
 週末であった。夏の蒸し暑い夜であった。クールな解放感にひたりたかった。どこかへ遊びに行こうということになった。ニッパーの女友達と一緒にディスコへ行くことにした。そのムカシ、ニッポンの建築家が手をかけたディスコとして知られていたが、最近、とみにマイノリティーの若者たちのパラダイスとして名高い14丁目のパラディアムへ行った。体育館ぐらい広い空間は暗く、隣の人の顔も分からないほどであり,フロアーには踊る人々で立錐の余地もなかった。バンドが入りヒップホップ・ミュージックが轟音となって鼓膜を破るほどであり、七色のストロボ・ライトが点滅して異次元の世界をかもしだしていた。一踊りしてからボックスでカクテルを飲んでいた。近くのバー・カウンターの方へ、一瞬、目を配ると、一人若者の横顔がスポット・ライトに反射して浮かび上がっていた。ウソー、信じられない!その人の顔をみると電撃的な衝撃がココロの中を走り、強烈な愛の炎が燃え上がった。ジルベールとまるで同じ。高い鼻とやさしいマスクの輪郭がくっきりと刻まれているのではないか。いつもココロのなかで、いつか「きれいな人」と会えるのではないかと憧憬をしていたが。まさか,それが,突然,この目の前に幻のごとく出現するなんて。どうしよう。すぐ飛んで話に行った。年下に見えたが、よく話したら同年で、ブルックリンのある大学の学生だった。もう一目で、カッコいいなと思った。シャープでスルどく、男らしさを感じた。ココロの底から「やさしい人」で、他の黒人と違うところがあった。それから、毎日、会っています。初めて彼に会った時日本人と結婚したいといってくれた。ある日、彼のブルックリンの家へ行ったら親族が集まっていて紹介された。すべて向こうがお金を出してくれるからと言う。私は三か月間のサマーコースが終わり,いったん、日本へ帰らなければならない。来年、彼、王子様が正式に結婚をしたいと日本へ迎えに来てくれる。しかし、日本の親のことを考えると、結婚に少しちゅうちょしている。

大人になりたくない少女病
 虎と馬が合体して、トラウマ。れっきとしたサイコルジカル・キーワードで、永続的結果を残す精神的外傷である。すなわちココロのキズである。大塚英志著「少女民俗学」のなかで「少女たちが生きる空間として、部屋とともに重要な位置を占める場所が学校である。そして、少女たちがオトナになることをかたくなに拒否する方法がメディアとして学園マンガを生み出したのではないか」とある。
 だが、おニャン子クラブ同様、A子さんもやがて卒業の日が来てオトナの社会の荒波へ出奔しなければならない。その時マンガの主人公をまるで守護神のごとく携えていた。それがニュ―ヨークで実在の姿となって現れ,愛というクスリでトラウマが癒された。幸せを獲得した。「外界の現実の対象によって、愛の要求が満たされている限り、その個人は幸福であった。だが、この対象を奪われ、これに対する代理が見つからないと神経症になる。」フロイト
今夜はサイコ!
(1994年2月18日付、ニューヨーク情報誌OCSNEWS掲載)