What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

赤裸々な在紐育日本女性 “マリちゃん” の麻薬体験告白記

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口

ニューヨークの魅力はいろいろある。ある人(ニッパー)にとって観光の場であり、また、ある人(ニッパー)にとって学問探究の場であり,また、ある人(ニッパー)にとって芸術創造の場であり,また、ある人にとって金儲けの場であり、また、ある人にとって麻薬による快楽追求の場である。つまり、「ニッパー・ニューヨーカーの夢」もこの街の性格を反映して万華鏡を呈している。

マリファナ合法化運動
「夕暮れ時、というよりは、たそがれて、暮れかかるころからワシントン・スクエアの入口周辺は賑わいはじめる。“‥‥スモゥク” “‥‥スモゥク” と無関心そうな、きみょうにしゃがれて枯れた声がどこから不意に、とんでくる」という一筋が蟻二郎著「ニューヨークの魅力」のなかにある。近頃、この “スモゥク” に加えてオリエンタルが通ると “‥‥ハッパ” “‥‥ハッパ” という声が飛んでくる。御存じ日本の “葉っぱ” に由来している。あるニッパーがマリファナ・ディーラーにこの言葉を教えたのだ。ニューヨークのサブ・カルチャー・シーンでは、ヨコヅナやヨシモト・バナナに混じってこの言葉が立派に市民権を得て通用しているのである。アービング・ルイス・アレン著「ニューヨーク市スラング」(オックスファード大学出版)の改訂版に記載されること必定である。
 ところで、マリファナはいつごろ日本へ入ったのであろうか。「日米文化交流事典」をひもとくと、「マリファナmarijuanaー大麻アメリカでは芸術家などの間に戦前からマリファナ常用者がいたが、60年代からのヒッピー運動で若者の間に広く使われるようになった。元来、法律上はヘロイン、モルヒネなどの “ハード” 麻薬と同じように扱われたが、70年頃から、州によって差があるけれども、全般的に取り締まりが緩くなった。日本でも、60年代からアメリカのヒッピーによって伝えられ、マリファナに対する関心が高まったが、法律で厳しく取り締まられており、実際の常用はアメリカほど広がらなかった。だがアングラ芸術家や芸能人には魅力的らしい。例えば76年、ウェスト・コースト帰りのシンガーソングライター井上陽水は、マリファナを持ち込もうとして逮捕され、話題となった。同様の事件はあとを絶たない。最近、若者のジャンパーにLegalize(マリファナを公認しろ)というワッペンをよく見かけるが、彼らが本気なのか、それとも単にファッションでつけているのかは不明である」とある。
 いや、単にファッションどころか実際にマリファナ合法化運動に参加し,身も心もホンワカと23年の間、つまり約四分の一世紀の期間、人生をイッキーにヤメラレナイ、トマラナイという感じで、日夜、喫煙邁進されていらっしゃるお嬢さんがいる。その人に御登場願い、警視庁もマッ青な赤裸々な麻薬体験を語ってもらおう。なおマリファナのマリをとって仮名 “マリちゃん” としておきます。念の為に。

ニューヨークで “ハイ” の人生
 「ウーヒヒ!(笑い)。生まれも育ちも東京でーす。身長159センチ、体重49キロ、目は茶色、50年代生まれ。大卒。本籍東京、まだ日本国パスポートをキープしていまーす。本格的にニューヨークへ来たというか “ニューヨーク・デビュー”(注1)を果たしてもう5年になりまーす。それまで何回となく観光でアメリカに来ていました。
 初めてマリファナをやったのは中学生の時で14歳、セーラー服をミニ・スカートに着替えて新宿の歌舞伎町のど真ん中にあったクレージー・ホースというディスコへ遊びに行って時。フィリピンのバンドが入ってギンギンなトコロでバンドの人からもらって、もう、そーうね。ワァーオ!スッた瞬間にこれがマイ・ライブだと思っちゃった。ウーフフ(大笑い)。そして、現在に至るまでマリファナをスゥわなかった日は一日もないでーす。今、アメリカでマリファナ合法化運動に参加しています。日本にいた時は名前は明かせないけど有名なミュージシャンとか、その友達から貰ったり、また、米軍の福生や六本木の神谷町の交差点などで買ったりしてスッていた。
 むかし、航空母艦 “ミッドウェイ” が横須賀へ入った時、“タイ・スティック”(注2)をスッたことがある。それは東南アジアの国々をあちらこちら船が寄港してソルジャーが密輸したブツで、コイル状のマリファナが麻糸で巻いてあって、一服で、もう桃源郷ファンタジーランド)へ一直線。ワーハハ(高笑い)。
 今は5年間、日本へ帰ってないので知らないけど、当時、今から10年前で、普通のタバコより短いそれが一本東京で八千円だった。まあ、なんというのかな酒やシガレットや男性経験の前にハッパを知ったのよーね。ヤーン,ワーハハ!(自分で大爆笑)。だって男性を知ったのは17歳だもの。一応,家が裕福だったので毎月フィリピンやグアムへ行ってマリファナをスィいまくっていたわ。
 海外に出たのは16歳で最初がグアム。22歳の時,カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のバークレーのカリフォルニア大学に語学留学し、その時、バークレーの町の中のオミヤゲ物屋とかいう店のノレンがあって、そのノレンの裏にマリファナを売っている店があって、それがものすごいの。こっちのマーケットに吊り下がっているようなハカリがあるでしょう、何ポンドと計るやつで、お茶屋さんのように大きなザルがあって、メキシコ産、コロンビア産、カリフォルニア産等十種類以上が盛られて各々ブランド名が書いてあり,各種をブレンドしてもらって買ったりしていた。そして、勉強がわりにマリファナ関係の本を一杯読んで、ホーム・グローとかオーガニック自然栽培の方法も覚えて、雑誌「ハイ・タイムズ」というよりかもっと大学の文献にもなるような、もう、専門的なものを読んだから‥‥‥。
 日本でいろいろと仕事したけどすぐやめて、ニューヨークに行けば何でもあると思って来ました。実際にその通りだった。クスリはもう全部経験しました。マリファナはもちろん、ヘロイン、コカイン、ハッシシ、バリューム、LSD、エクスタシーと全部やったわ。だから、どこへ行けば売っているかすぐ分かるし、電話一本でクスリを配達してくれるデリバリー・マンもいっぱい知っているわ。だからあらゆるクスリを手に入れることが出来る。
 一年位前にある友達の友達の紹介でクスリ好きなドイツ人の男性を紹介されたのだけど、その人が私のことを好きだと言ってくれて、その人がいつもコカインをやっている人で、それで私とデートしたいからということで、まあー、そのコカインを用意して今日はたくさん手に入れたからということで、行ったんだけど、アタシも、その人も、そんなにいっぺんにやってもやりきれないほど、ネー、だってアメリカ製の大匙スプーンに山盛だもの。もーう、駄目。二人共動けなくて30時間ぐらい続いてハイだった。死ぬ寸前までコカインをした状態で、心臓はパカパカ、ドキドキと鳴りどおしで、もう宇宙を漂っているみたいだった。ハッパは自分でコントロール出来るけどコカインはH以外何も出来なくなるでしょう。
 最近は朝起きるとまずマリファナ一服スッて、それから家にあるだけスッているわ。昨年のクリスマスにピンクの錠剤とピンクのカプセルがあって、両方ともエクスタシーで、カプセルの方を一晩で4個とっちゃったの。そしたらウチは狭いアパートなのにトイレへ行くのもやっとという感じで、ベッドに寝たままで、初めの3日間は電話が鳴っても、もーう、分からないという状態だったわ。もうクリスマスからお正月までイッキにしちゃえと4個とったのがまずかったのよね。ウーハハハハ!(大爆笑)。
 「ビルディング」というディスコへ行ったら、もうビル自体がグラグラとアースクエークみたいになっちゃって、アーハハ(笑い)、踊っていても自分が動いているのではなくて、まわりが動いちゃっているから、立っているだけでジェット・コースターに乗っているような気持ちでしょう。結局一週間ブッ飛びっぱなしだったわね。
 ハッパは歴史が長いからドンドンとスゥうほうだけど、どんなストーンになった状態でも自分を制御できる。だけど、クスリの場合は制御出来なくなるところまで飛んじゃう。だから、アタシはハッパの方がいい。スィながらアートとかダンスが出来るので好きなの。それと人と話してもハッピーになるけど、ドラッグはすべてがメチャメチャとなってファーゲット アバウト エブリシングじゃない。ウーフフー!(笑い)。もう、クスリに対する自分のカラダの限界を知ったから、ハッパが最低欲しいけど,ドラッグもたまに刺激が欲しい時やりたいと思うくらいね。
 ニューヨークはコネを知っていれば何でも簡単に手に入り、ベスト・オブ・ワールド。ニューヨークはサイコウ。ノーノーノー!もう東京とか日本にはまるっきり興味がなーい。仕事していません。ママからお金使いすぎだと言われているけど、仕送りで生活していまーす。」
 という次第で、ベリー・ハッピーに何のてらいもなく、あけすけに,ニューヨーク・ライフの日常を語ってくれた。
 「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」といえば旨いビールの合言葉。「セックス、ドラッグズ,ロックン・ロール」といえばアメリカン・ライフの合言葉。この言葉を字義どおり実践なさっている殊勝なお嬢さんと出会ったのは数年前の某ニッパー・パーティーであった。その絶やさぬ微笑と、怪しく香しく匂う煙りを胸の奥までゆっくり長々とイッキする姿態に圧倒されて、その場で俺はオトモダチにさせてもらった。一度話し始めると彼女の口から機関銃のように知的で痴的な会話があふれ、アヴァン、ポップ(注3)な女であった。では、チャオ!(今、笑ったのは誰だ)。
(注1)「ニューヨーク・デビュー」――――例えば、女の子がディスコ「ジュリアナ東京」のお立ち台等で遊びを本格的にスタートさせることを「デビュー」と呼ぶ。よってニューヨークという舞台で遊びをスタートさせることを筆者が命名した。だから初対面のニッパーと会ったら、ニューヨークにどのくらいいるの,と聞かずに「ニューヨーク・デビュー」はいつ?と聞くこと。
(注2)「タイ、スティック」――――ロマネ・コンティといえば世界で最も有名なワイン。タイ・スティックといえば、ジャマイカ産と匹敵する世界最高の大麻品質のこと。
(注3)「アヴァン・ポップ」――――略してA.P. アヴァン・ギャルドとポップ・カルチャーの合成語。現代アメリカ文学の最新潮流。実践文学と通俗文化の境界線を混交して小説の新しい可能性を探ろうとする、90年代文学及び芸術の概念。そのタームを単に筆者が剽窃しただけ。
(1994年3月18日付、ニューヨーク情報誌OCSNEWS掲載)