What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

サインはH!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口  
 カナダ。御存じのように北米大陸に位置している。南はアメリカ合衆国に隣接し、北は北極まで、世界第2位の面積を有している。かつてイギリスの植民地であったアメリカが独立したのに対して、カナダは英国連邦の一員下となり、現在も元首は英国エリザベス女王がつとめている。また、国民性はいたって穏やかで自然をあがめる国である。
 このカナダの一つの州にアルバータ州がある。同州の最大の都市は人口約80万人のカルガリーである。風光明媚なカナディアン・ロッキーの入口として、また、カナダのオイル経済とアルバータ産の牛の輸出地として潤っている。1998年には冬期オリンピックが開催されたごとく、昔からスポーツの盛んな土地でプロのアイス・ホッケー・チームやビッグなプロレス・テリトリーとして知られている。このカルガリーを北米で屈指のプロレス繁栄地とさせたのは名門ハート家であり、60年代より多くの日本人レスラーが武者修行や巡業に来て定住したヒトもいる。
 ある年に、日本の若手プロレスラーがこの街へ武者修行にやってきた。試合当日ともなると、会場のダウンタウンのスターンピード会場はいつも数千人のファンでふくれあがった。早い時間から選手のサインをもらおうと、純情可憐な中、高校生の少年少女たちが群れをなして、アリーナ裏門で終業を待ち構えているのが常だった。
 当初、そのレスラーもせがまれれば快くきちんと日本語で自分の名前をサインしていた。それも、もう、慣れ慣れになり、その時も少女がノート大のサイン帳を差し出してきた。面倒くさいなとおもう嫌気感と、してあげねばという義務感の葛藤にさい悩まされた。「そうだ!」きちんと書くのは面倒だが、ちょっとオトナのブラック・ジョークでもってお茶を濁してやれという悪戯感がわいた。その白いサイン帳を受け取ると、マジック・インクで、ぶっきらぼうに、まん中へ円を描いた。次に、その円の外側にもう一つの大きな同心円を描き、円の上から下へと棒線を引き、外円の廻りには太陽の光線の輝きのごとく棒点をくまなくふった。やっと待ちにまって日本選手からサインをもらった少女は目を輝かせて喜び、まるで大事なお宝のごとく胸におさめながらその場を去った。
 次ぎの日、その少女はその大事なお宝を持って学校へいった。皆がワッと集まってきた。自慢げに、クラスメートへそれを見せた。すると、誰もがこれは何かしら、と首をかしげだした。そう言われれば、よく観察すると少し変だ。他の友達がもらったサインと比較してもちょっと不思議だ。ただ二重丸に直線と点々だけが描いてあるシンプルな図である。一体全体、これは何なのか? 無理もない。子供たちにとって具体的なモノが描かれていなくて、まるで難解なモダン・アートのアブストラクトのようにも見える。ある生徒曰く、これはTVや新聞によく出てくる天気予報の晴れのち曇りの記号の新種であろう、という。ある生徒曰く、ナチュラル・ヒストリーの図鑑に出ていた「お多福豆(スイート・ビーン)」であろう、という。 またある生徒曰く、オリエントのアブラカダブラのような魔法のオマジナイであろう、という。ともかく、カンカンガクガク、百家争鳴の騒ぎとなった。結局、先生に尋ねることにした。先生も首をひねった。何かのシンボル・マークか記号の類であることは間違いないが、それが何を意味するのか、先生も解読に難儀した。その少女が日本選手からもらったと告げると、それならもしかして中国由来の気の思想のようなものが入っている精神性のたかい仏教のシンボルかもしれない。あるいは、日本古来のアニミズム信仰に関係するものかもしれない。彼らの国の有名な天の岩戸神話では太陽女神の天照大神がストリップした、とある。だから太陽の輝きに引きよせられるような不思議なオーラも感じられ、シントウの影響を受けた太陽崇拝を願う宗教シンボルともおもえる。あるいは民族儀式用のおかめやお多福の面のようにもみえる。ともあれ、ペンを毛筆のようにしてリズミカルに一気呵成に達磨の目玉のように仕上げられ、素晴らしく神秘的なエネルギーが満ち溢れている。苦労の末やっと、秘密のベールが一枚一枚剥がされるがごとく、氷が解けるがごとく、謎が分かった。
 それによると、Japanでは、Bobo(ごめんなさい、ボボ・ブラジルさん), Dreaminghole, Who?, TARAKO, ebi, asoko, Resort, Meron, WA RE ME, You need a shave, Magritte R evisited, all night NIPPON, Japanese Industrial Standard, MAGIC EYE PUSSY for Japan, History of Japan, Only front, Tokyo Decadence, Omeko 等と非常にバラエティーな言葉で表現されており、主に、性的エネルギーに溢れている若者が、臭いトイレの中で、ある種の運動を想像して、ふっとハンドリングしながら、もう一方の片手で描いたりするらしく、どのトイレにも二つや三つは必ず目に付くという。つまり、それはコーモン・プレスにおいても非常に目障りだが日本民衆が生きていく上で、特に、なかでも性的フラストレーションに悩む若い独身男性にとって絶大なる満足感を授け、彼等にとってなくてはならないO2(空気)のような存在らしい、と判明した。
 先生は驚きプロレス団体へ抗議した。団体はそのレスラーの親方へ連絡してきた。親方は彼を呼び出し、ちょっとそれはマズいよー、ここは日本とは違うよと警告を発した。カナダやアメリカなどのキリスト教が理念の国において、倫理道徳上、青少年や子供の人権は厳格に守られている。それは刑法のなかでも、立派に性犯罪に相当する行為なのである。公然と性器を見せたのと同等の破廉恥な猥褻行為なのである。「公然ワイセツ罪(Obscenity)」にも等しかった。まさかこんな大事件へ発展するとは夢にも思わなかった。ほんの出来心がこんなことになってしまったのだ。文化の違いといえばそれまでなのだが、、、。本人も素直に認め、頭を下げながら深く反省し陳謝したので、その件はそれで丸く収まった。  
 畢竟、これについては今日の日本の人は大方「ああ、あの落書きか!」と誰でもが思い当たる。つまり、それは女性が生まれながら隠し持っている凹型プロダクトを抽象的に記号化・シンボライズ化したもので、なんでも日本では老若男女を問わず、「女性のセックス」「ワイセツ性」「エロス」「H」といった概念のすべてを意味しているものだと理解できる。
 ところで、このイッシューを我が国の歴史的文化史的コンテキストにそって考察してみると、こうして長いあいだ日本民族のイマジネーショナルな性的幻想の源泉というか、生のレーゾンデートルであるところの女性のセックスのイメージがいつ頃から表象されるようになったのであろうか?誰がこのようなキッシュなデザインをあみ出したのであろうか?日本人の長い歴史のなかで生活者の知恵として自然発生的に出てきたのであろうか?結論を先に述べれば、このシンボル・マークは見た者の特殊な情緒を刺激するという目的のためであり、男性の生理的自然現象に附随し、その行為をより助長させる為、この種のグラフィックは古代より連綿とアングラ的に現代にまで描き継がれてきたのだ。ただ、描かれている場所が場所だけに、臭いものにはふた式に隠蔽されていて、なかなか公に出てこれなかったのだ。
 1997年10月の新聞によると、「奈良県明日香村の飛鳥池遺跡より井戸枠にそのものズバリの男女の性器が落書きされていた日本最古の戯画の板が出土した」とある。偶然にも古代文明のなかから奇跡的に出土したのだ。6世紀頃のものである。それは世界のどの国でも見られないくらい洗練されて我が国独自のセクシャリティーが表現されていた。考古学学会はいうに及ばず性学会も、我日本民族の旺盛な子孫繁栄の源動力となる発見に目を疑った。それはすぐれた日本民族独自の性的イマジネーションの記録であり、また、ジェンダー史から見ても世界的に貴重なものである。
 また、江戸時代になると春画という民衆の性的欲望の賜物である美の様式を生み出した。その外人コンプレックスを吹き飛ばすがごとくそのモノずばりの絵がマニファクチャー・プロダクトとして大量に刷られた。芸術とポルノ、性と欲望を結びつけたすばらしいグラフィックへと上昇させた。
そして、明治になると手軽にマジック・インクやペンなどが入手できる時代となり、そのプロダクトはより簡素化され、よりポップとなり、より広地域へ伝播流布され、民衆民草のあいだで誰もが暗黙のうちに了解できる表象サインとして行き渡ったのだ。
 蛇足ながら、日本が世界に誇る学者南方熊楠によると、「日本でも、国によって女陰をメメといい、近畿では小児は目をメメといった。女陰を目にたとえる例は、諸国ある。目と陰と相似たところから、女陰をもメと呼んだが、それでは目のメと間違いやすい。よって於と居を添えて敬愛を示して、於目居と称したのかとも考えられる。記紀共な女をメと訓み、婦人(タオヤメ)、娘(ムスメ)、少女(オトメ)、寡婦(ヤモメ)、姫(ヒメ)とあるように、メはもと女性の総称だった」とあり女陰と目のアナロジー関係を述べている。セクソロジー研究の先駆者だけあって斬新な視点をみいだしている。
 この南方説を裏付けるがごとく、民族学者の近藤博博士著「金比羅信仰研究」によると「呪術的にハシがメ(目)と対立するところ、ハシとコメの関係が思われるのであって、目を狙うべきこうした刺突性の凶器により、ヤマトヒモモソ姫が、極所を損ぜられたことについて、陰部名称の上から考慮するならば、体における目(メ)の一種として合理性があろう」とある。米(コメ)、目(メメ)、女陰(オメコ)の共通性はメで結びついているのである。これは何とやさしく豊穣な日本民族の凝視の所産であり、我が民族文化の英知の賜物である。実に、合理にかなった説得力のあるグラフィックスなのであるのに、、、ネ。また、そして何よりも、ソレは、元来、祝祭的に愛(め)でるところの「お目でたい」プロダクトであるのに、、ネ! 
(1999年12月10日)