What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

プロレスのたくらみ、あるいは、ディスカバー・ジャパン

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口

 今、アメリカで日本古来の男性下着であるフンドシが、オシャレでスポーティーでセクシーでエキゾチックなボディー・ファッションとして、ある性志向の人々の間で広く深くブームになっている。その種の雑誌を見ても広告が頻繁に出ている。
 いわく、ジャパニーズ・トラディッショナル・アンダーウェア、ホワイト・リネンクロース・ブランケット、ロインクロース・ロープ、マッチョマン・ブリーフ、ウタマロ・T・バック、そして、なかにはズバリ“フンドシ”というのまである。
 来年のファッションにカルバン・クラインラルフ・ローレンもこの線を狙っていると噂されている。こうした流行を先取りしたというか、大観衆の眼前で見る機会があった。

プロレスラーが変身!
 このところ、ニューヨークを本拠地に活躍しているジャパニーズ・プロレスラー三羽烏に人生“白使”新崎、ブル中野、“ショーグン”ニシムーラがいる。日本でのリングネーム西村修、東京都出身、23歳、身長186センチ、体重100キロ、新日本プロレス所属、アメリカ滞在2年。英語でNishimuraは発音しづらいらしく、いつのまにか当地にてニシムーラと呼ばれるようになった。将来日本プロレス界の大ホープとして、力道山同様の黒パンツをはいてアメリカで試合している。そのニシムーラ選手から、「少し変身をするので試合に来ませんか」と取材の誘いがあった。
 4月21日、車は一路ウエストへ向かった。ルート78に乗り、ニュージャージー州を横断し、ペンシルベニア州の田舎を目指してドライブした。牧歌的な風景のなかに細い道が蛇のようにクネクネと丘上へ延び、やがてプロレスがなければ人生で二度とこないであろうというド田舎のオーウルズバークという町に到着した。
 会場のシビック・センターへ入り、ニシムーラ選手はドレッシング・ルームへ消えた。よく見ると館内は白人の観客だけであった。それもほとんど純情素朴な思春期の若者たちと敬虔な宗教徒のような老人たち600人のフル・ハウスであった。星条旗がなびき、厳粛なナショナル・アンサムの後、試合が開始された。鶴首して8試合目のメインイベントのニシムーラ戦を待っていた。
 いよいよ館内が暗くなった。演歌の曲が妖しく流れた。TVカメラが回り、スポット・ライトが当たった。いつものごとく、ドレッシング・ルームから一気呵成にリングへ飛び出して来た。青年は荒野を目指し、ニシムーラはリングを目指した。
 木刀を右手に持ち、顔面に赤と黒の不気味な卍印のペインティングを施し、着物姿で、歌舞伎役者のごとくアリーナ中央に屹立した。この夜、プロレスラーになって以来初めてペインティングをしたのだ。これが変身するという意味であったのだ。
 リング・アナウンサーが“ショーグン”ニシムーラ・フロム・江戸・ジャパン!と紹介した。これぞ見せ物スポーツのダイゴミであり、時空を限定せずカンタンにワープしてしまうところがプロレス世界の魅力である。そして、“畏れ多くも、天下のショーグンであらせられるぞ!えーい、頭が高い!”と日本語で観衆へ向かって罵倒した。誰も日本語は分からないが、たぶん聴衆は侮辱されているのだと感じた。拍手喝采はまったくなく、逆に、親指を下にしてブーイングのストームとなった。
 おもむろに着物を脱ぐと、まさに、館内は蜂の巣をつついたような大騒ぎである。“ワーオ!”ミーも目を疑った。清らかなオジイちゃん、オバアちゃんたちは顔面蒼白、自然に十字を切り“オー・マイ・ゴット!”と口ずさんだ。ギャルやヤングたちは目の遣り場に躊躇し“キャーア!”と黄色い声を発し、いや、この場合、白人だから白い声で絶句した。日本の伝統的アンダーウェア姿が、アメリカン・ピープルにはフルチンに近い姿態と映ったのだ。これこそ元祖Tバックである。文句あるか?
 その男性の最も大事なパーツをこれでもかと最小限の面積で隠蔽していて機能的な下着and水着であり、ミーには、凛々しくエスティックとアスレティクが一体となったこの日本文化の賜物は、“必要は発明の母”と映ったのに。それよりニシムーラ選手にとって、ここはどうみてもニッパーの、いやニッポン人の大和魂、白いフンドシきりりと締めて、例の緊褌一番勝負であった。めでたく卍固めで本人の名誉とフンドシの沽券は保ちアメリカ人レスラーをギブ・アップさせると、右手が高々と挙った。快勝だ!バンザ〜イ!

フンドシ考
 そもそも、日本でつい一時代前、つまり、ショーワ・ピリオドまで、パンツといえば一枚の白い布であった。先の第二次世界大戦にて、アメリカ兵隊はぶったまげた。自分たちは重いリュックを担いでいるのに、日本兵は必需品の一切合財をこのスペア・フンドシの中に入れて持ち歩いていたという。
 広辞苑でフンドシを索引すると「褌」フミトオシ「踏通」の転という)男子の陰部を覆いかくす布。たふさぎ。したおび。フンドシを締めてかかる(決心を固くし、覚悟して着手する)。さらに、分類してみると、
越中褌」細川越中守忠興の始めたものという。長さ約1メートルの小幅の布に紐をつけたフンドシ。
六尺褌」、晒木綿六尺を用いてする男の下帯。
 それでニシムーラから聞いたところ、渡米前に浅草仲見世街で、長くて万が一にも、多少、はみでても大丈夫なような六尺ものを購入し、いつか、プロレスで使用して、日本文化の素晴らしさを外人に見せてやろうと、長い間懐に温めていたそうである。なるほど我々の文化表層からフンドシが消えて久しいが、しかし、本当にそれほど等閑視さるべきであったのか?つまるところ同じパンツなのだが、日本のフンドシと西洋のブリーフの有用性を比較してみる。
 フンドシ(1)裁断裁縫が簡単(2)通風が良(3)気持ちが引き締まる(4)火事の際ロープとなる(5)水泳の際サメ避けとなる(6)Gパンに不適当
 ブリーフ(1)裁断裁縫に手間(2)通風が悪い(3)気分が散漫(4)火事の際無役(5)水泳の際浮き袋にもならない(6)Gパンに最適
 以上、さあ、どうでしょうか。ブリーフの方が優れているのは一点のみである。諸君,ディスカバー(原義:カバーを脱がす=裸)・プロレス!ディスカバー(裸)・ジャパン!
(1995年7月7日付、ニューヨーク情報誌OCSNEWS掲載)