What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

魔都ニューヨークの日本人詐欺師 K・Y(37才)の悪徳行為!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口    
「気を付けよう、日本人は日本人に狙われている!」(筆者)
ニューヨークは世界的に有名な犯罪多発都市である。殺人、強盗、詐欺など、あらゆる極悪の犯罪が常に新聞のトップを飾っている。最近では邦人がらみの事件もめずらしくないが、日本人はいつも被害者と限られていた。それが円高となり、バブル好景気となり、日本人が多額の現金をもって気軽にアメリカ観光やアメリカ留学へくるのに従い、同胞の懐を狙う邦人詐欺師が白昼堂々と摩天楼下で暗躍するようになった。その邦人詐欺師こそが K・Y(37才)だ。日本民族特有の外国で邦人に逢うと、すぐ好意を抱いてしまう習性を手玉にとって、気付いたときには有り金をすべて騙し取られている。被害額は数10万ドルに達するとみられている。ニューヨーク在住日本人社会及び日系コミュニティーの大規模なマン・ハントが敢行されたが94年9月現在、容疑者は地下へ深く潜行して身を隠したのか、逃亡中で、まだ、逮捕されてない。
たしか91年の夏だった。その年の夏は異常な冷夏であった。夏でもコートが必要なそんな冬のような月に某日本人を紹介されたことを鮮明に覚えている。
カナダ在住日本人の知人がニュ−ヨ−クへビジネスにやってきた。ミッドタウンの友人のところに寄寓しており、そこの家主を紹介するからと招待された。70丁目代のマディソン・アベニューのドアマン付き高級コンドであった。上階の見晴らしのよい部屋には家具らしき物はなにもなく、僅かに、サキソホーン1本が壁に立てかけられているだけだった。知人より「中山君、彼 K・Y は山下官房長官の息子で、当地の日系旅行社へ勤務しているが、近いうち、新事業を起こすので、一つ手助けしてやってくれないか?」と懇願された。どんな関係の新事業をやるのか詳しくは聞かなかった。それよりも、大臣の息子というのでこちらも礼儀正しく身構え名刺を渡した。年令は30才代。歌手の前川清風のやさ男の雰囲気で、ノッポのホソ型。顔は特色のあるニキビ痕のあばた面であった。いわゆる英語でいうところの「パイナップル顔」である。初対面なのにやけにナレナレしく振る舞った。知人を目一杯ヨイショして、ゴマをすり、アトランティック・シティのギャンブル場へ盛んに誘い出そうとしていた。私が楽器へ目をやり「何の音楽しているのですか?」と尋ねると、自然なテレ笑いを浮かべながら「ちょっとオトをやり、サックスを吹いている」と答えた。知人は「こいつはプロのミュージシャンだよ。」と茶々を入れた。いかにもその道のジャーゴンらしき「オト」とか「ラッパ」とか「ダモン」とかを会話で強調するので、こちらもこの人はプロだとえらく納得してしまった。
 初対面から一週間後。K・Y から、突然、電話が来て現金5千ドルを貸してくれないかとの依頼があった。小遣いとしては大きすぎるし、事業資金としては少なすぎると思った。とりあえず、私の近所のバーで会う約束をした。すると、新会社「ゴールド・キー・エンタープライズ」ロゴ入りのポートフォリオを持参して各種のリムジン車のポラロイド写真が貼ってあった。いわく「自社所有の高級リモで、10種類の異なるサイズの最新型ロールス・ロイスからキャデラックまであり、安くするからお客を紹介してくれないか。とくに日本の金持ちギャンブラーを紹介してくれれば、その人には日本からニューヨーク迄のファーストクラスの飛行機切符とアトランティック・シティまでのリモ代、カジノでのホテルの宿泊費用まで無料にする。その上、私にマージンをくれる。だからお金を貸してくれ」という。一応「私は金がないが、ある人を紹介出来るから担保と保証があるのか?」と尋ねた。すると、今迄、弁口さわやかであったのがモグモグさせてトーン・ダウンし曖昧な返事をした。多少の怪しい印象を持って、その日は別れた。
それから3ヶ月ほど経った。もちろん K・Y のことなどすっかり忘れていた。ある日、フロリダ消印の稚拙な手紙が拙宅へ届いた。首をかしげながら封を切った。ホテルのレターペーパーに書いた手紙2通が出てきた。一通は本人のサイン入りで、もう一通は音楽記者らしき人が書いた長文の紹介記事であった。せっかく送ってくれたので大切に保存しておいた。それを紹介してみる。
 「中山様、御元気で御過ごしの事と存じ上げます。先日は大変、御世話になりました。現在、フロリダ州オーランドにて仕事をしています。同封致しますのは DOWN BEATS 社の記者のインタビューに答えたものです。日本の雑誌、新聞などへ送って下さい。来月中頃、ニューヨークに帰る予定です。また、連絡申し上げます。 敬具 K・Y
 「中山樣、 K・Y 氏に紹介されてペンを取っています。今回、K・Y氏のグループを約1ヶ月取材していますが、この記事を日本の雑誌社に記載して頂ければ幸いです。当方、ダウン・ビート・マガジン他、JAZZの記事を書いているものです。今回は、時間が無くてお目にかかれませんが、12月頃、K・Y氏のコンサートに再渡米予定です。何卒よろしくお願い申し上げます。

    • 仮題 “最高のバラード DEAR SALLY(愛するサリーへ)”K・Y &ザ・ドリーム・バンド91Tourよりー

 あのサキソフォ−ン界の “貴公子” のニック・ネームを持つ K・Y 氏とそのグループ、ザ・ドリーム・バンドが、我々、音楽関係者、報道人の前に姿を表したのは昨年の10月以来だから、約1年ぶりである。この日は、某日本のテレビ局のスペシャル録画で、JAZZ界の一流プレイヤーの現在の活動等を紹介するプログラムで、日本人でただ一人バンドリーダーを勤めるかたわら、常に多様な活動を続けている K・Y 氏の “ザ・ドリーム・バンド” を紹介したい。最近の JAZZ ブームで、特に若い女性から、あのアニメ “ルパン三世” の中の “次元(ジゲン)” に似ていると人気上昇中で、この日も録画のホテルには若い日本女性の姿が目に写った。JAZZ 界にも(おっかけ)がついに現われた?という感じであった。K・Y 氏について、説明すると、以前は JAZZフェスティバルを中心に活動しているが、ここ近年スタジオ・ミュージシャンとしてレコーディングを中心に活動しているために、今一皆さんの目の前ではお目にかかれなかったと思う。そして、10月28日にはフロリダ州はオーランドのブレジャ−アイランドに出演した K・Y氏とドリーム・バンド。いつもの様にアンコールが鳴り、K・Y 氏がここで1曲、今、一番幸せになってもらいたい人にささげますと言い、タイトルは DEAR SALLY という、とても静かなバラードであった。会場はペアが踊りながら、静なチーク・タイムで、途中、K・Y 氏はソロの時、目から涙があふれでていた。この日の収益は福祉団体へ寄付された。日本のファンの良いプレゼントとして日本へ紹介します。K・Yさんアリガトウ。 敬具 小塚秀久」                              
 何だ?この記事は?バカバカしさを通り越して、ププッと、一日笑いこけてしまった。稚拙で無味乾燥の内容。そのうえ、肝心の写真が1枚もない。大風呂敷を広げたデマカセのマユツバものであることは一目瞭然である。念の為、地元ニューヨークの日本人音楽関係者へ問い合わせてみたが、誰もそんなミュージシャンも、バンド名も知らないという。全部、真っ赤なウソ話である。シタタカナ野郎だ。私を欺こうとしたのだ。
それから、1ヶ月後、当地の日本語情報誌「OCSニュース」オープン・レタ−欄に「詐欺に注意」投稿記事を偶然目にしたとき、あの「パイナップル野郎」だと直感した。以下、要約する。
「OCSの読者の皆さんが私の二の舞をしないことを願って、この手紙を書くことにしました。日本人の詐欺師 K・Y(35才)からひどい目に遭ったのです。・・・(中略)・・・結局、5000ドル以上を取られたのです。くやしいけど、どうか皆さんも、くれぐれも気をつけてください。最後に、同じ被害にあったと思う方はぜひ連絡してください。 ◯ ◯憲二(電話番号212―XXX―0000)」
 早速、被害者へ連絡をとりイースト・ビレッジのコーヒー・ショップで詳しく話を伺った。東京都墨田区出身、26才。まじめで、善良そうな好青年であった。高校を出てからアマのロックバンドで10年間演奏していたが、日本でやっていてもつまらなく、もっと好きな音楽を勉強しようと思い、今年の3月にニューヨークへきた。現在は語学学校へ通っている、という。友人の紹介でK・Y に会ったのは、日本人ミージシャンがたむろしている「大石レストラン」だった。その紹介してくれた友達も K・Y のことはよく知らないらしい。K・Y はプロのサックスプレイヤーで、会社の社長だと自己紹介した。頭が非常に低くて、一回知り合っただけで10年来の知己のように振るまい、ジャズの話をしているうちに自然と友達となり、週1回の割合で9回程会った、という。ある日、K・Y のアパートへ遊びに行ったとき、警察の身分証明書の他、自分は FXX だと称してバッジを見せられ、すっかり信用してしまった。8月頃「社員にならないか?」ともちかけられ、「まだ、学生だから、」と断ると「空いている時間だけでもどうか?」と誘われた。それから間もなく、今度は「事業のアイディアを貸してほしい!」と言われた。次に「9月にシカゴでジャズ・フェスティバルがあり、会社の金で行くので一緒にこないか?」と誘われたとき、それならと同意した。ところが空港へ着くなり K・Y ともう一人はまったくお金がなくて、結局、クレジット・カードを持っている自分が3人分のホテル代と帰りの飛行機代も支払わざるを得なかった。その時はニューヨークへ戻ったら貸したお金は払ってくれるものと思っていた。そして、今度は K・Y より「今度ダラスでレストランをやるので一緒にやらないか?」と持ちかけられたが冷静に考えて断った。またも、「近い内にミシシッピーでブルー・グラス音楽祭があるので行かない?」と誘われた。これはすごく好きな音楽祭だったので、つい、また、O.K. してしまった。予約金として現金が必要とのことで1500ドルを渡した。その時点では、まだ、騙されているとは夢にも思っていなかった。最終的には、同じ手口で K・Y から合計5000ドル以上を騙し取られていた。「金が戻ってくれればいいが、それよりも、許せないのはニューヨーク市警官出身だと偽って人をだましていることです。」と涙ぐむ。これ以上被害者が出なければと思って邦人誌へ投書したそうである。その結果、3人から連絡があった。一人の女性からは K・Y の新しい住所を教えてもらった。それで、ある日、その教えられたアパートの前で待ち伏せして、やっと K・Y氏を捕まえることが出き、金の返済を迫ったが、逆に弁護士を通してくれと凄まれてしまった。ついに、どうしようもなく公的な機関である在ニューヨーク日本総領事館ニューヨーク市警アジア詰問委員会へ相談にいった。
すると、もっと多額の被害を被った人の話を聞いた。被害者は1回に8千ドル相当を騙しとられ、総額300万円にも及ぶという。その話とは36才と37才の姉妹がニューヨークへやってきた。同様な手口で 司法関係に従事していると例のバッチをちらつかされて「パイナップル男こと K・Y」をすっかり信用してしまった。「君たちはまったく行く機会がないと思うが用事があるのでワシントンDCの司法省本部へ行くので一緒にどうか?」と誘われた。姉妹は大統領のいるホワイト・ハウスも見れるというのでアメリカ滞在記念にと同行した。あるビル前で「外で1時間待っててくれ。あなた方も入れるかどうか聞いてくるから?」というので、言われた通り待っていた。1時間後に戻って来て「長官と会えなかったが、セクレタリーと話してきた。」と説明するので姉妹はいたく納得してしまった。ワシントンから K・Y の案内で1ヶ月、アメリカ中を旅行し、姉妹のお金が尽きると、突然、K・Y は姿をくらました。彼女たちの航空券は後で現金化しようと企んでいたのか K・Yが管理していたので持ち逃げされ、二人はアメリカの田舎へ置き去りにされてしまったのだ。最後に、この姉妹もニューヨーク市警アジア詰問委員会へ駆け込んだ。
こうして憲二さんの被害届けを契機に、続々、他の被害者も名乗り出てきた。私の知る限り雑誌1誌、現地の日本語新聞2紙がこの事件を取り上げた。そして、地元ニューヨーク在住日本人社会はパニックとなった。前代未聞の日本人が日本人を騙すなんて考えられないニュースであったからだ。多額の被害を負った3人が被害者名と被害額リストを作成し、K・Y の顔写真を同封して総領事館と市警アジア詰問委員会へ提出した。
これに対して総領事館の対応は以下であった。「そもそも総領事館の任務とは海外における邦人の生命・身体及び財産の保護が基本的な任務である。」よって「これら個人間のお金の貸し借りとか、個人的な問題に関して総領事館は介入できないので、当事者間で解決できないだろうか?または市警アジア詰問委員会へ相談したらどうか?」と総領事館ではラチがあかなかった。
次に、邦人が犯罪などに巻き込まれたときのニューヨーク市警察と直結して邦人保護のボランティア機関に市警アジア詰問委員会日本支部がある。憲二さんはそこの相談員のアラン村上氏を訪ねた。被害者の名簿と K・Y 振出の不渡小切手6枚を証拠として持参した。「K・Y を前にして被害者が話し合って、月々、彼が働いた中から返済するという契約を交わせば一番よいのではないか?それが駄目なら、初めて、請求裁判所(クレーム・コート)へ持ち込んでも遅くはない。」というアドバイス受けた。
この事件を調べている内に、おもいがけなくK・Yの履歴書を入手した。さすが世界に誇る大都市の詐欺師だけあって、多くの学歴と趣味を持っている。見事というほかない。生年月日と出生地は本物で、他はウソのオンパレードである。憤飯ものである。92年に、市内の日本人観光向けゴルフ店へ就職する際に提出したものである。(本名は伏せておく)
  氏名は K(Kenny ケーニ)はニック・ネームです。
  本名 K・Y で、皆、ケニーピと呼んでいます。
  生年月日は1957年6月13日、血液型 AB。
出生地は鹿児島県鹿屋市。
  出身地は東京都市ヶ谷。
  国籍はまだ一応日本です。
  身長180センチ、体重62キロ、ややヤセ型、禁煙です。
  在米14年13日(この間一度も日本へ帰っていません)。
  学歴は私立ラ・サ−ル鹿児島高校出身。
  武蔵野音芸術大学楽器サックスフォーン専攻、同学1年時、
フランス・ボルドー国立楽学院奨学員生徒。
  ジュリアード音楽大学主席にて1982年卒業。
  同年、カルフォルニア州立大学バ-クレ−校にて音楽教授。
  84年 FXX 勤務。
  現在、ニューヨーク・ステート・ポリス・スペシャル・フォース在籍。
  特技はサックスフォ−ン演奏及びピアノ、ゴルフ(ハンディー0)、ショット・ガン、ピストル射撃、語学(英語、フランス語、スペイン語)。
  趣味はマリーン・スポーツ全般、ゴルフ。特にスキューバー・ダイビング、クルーザーレース、セスナ操縦、旅行、料理、ドライブ、仕事(?)。
これに付け加えて、巷のニューヨークの日本人社会で垂れ流したホラには山下長官の息子を切り札に、叔父は新宿警察署署長。プロの音楽家。アルトサックスでグラミー賞を受賞。プロ・ゴルファーのトレビノのカバン持ち2年。ロスの三浦事件をバックアップ。プロ・ダイバーでインド海洋以外はすべての海を潜った。タモリの友達。ナベサダの弟子。こうしてエンパイヤー・ビルより高いウソを平気で並べたてている。
これらの肩書きをフルに活用した K・Y はニューヨークをすいすいと泳ぎ廻っていた。悪の素行を追ってみよう。88年ダラスにて実生活は日本レストランの鉄板焼き見習いをしていたが、仲間にプロのミュージシャンを自称する。やむをえず人前で吹くがヒドイ音で素人と見破られ、日本人社会でホラ吹きと噂される。そこで、日系旅行社へ移り勤務するが休みが多いのでクビとなる。91年、ニューヨークへ移住。またも日系の旅行社へ勤務するが解雇。寿司屋で飲食代に小切手で支払うが不渡りとなり、連れが後で弁償する。日本人運転手付きリムジンを3日間フィラデルフィア迄借りて料金を踏み倒す。92年ミッドタウンの日系ゴルフ店へウソの履歴書で就職する。社員になる前に金がないので社長より数千ドルを前借りするが返済できず、店で知り合ったお客から現金2千ドルを借りる。その人へ泥棒した店のゴルフ・クラブで弁償するが発覚しファイアーとなる。そのとき、社長の机中より市警ベテランズ協会のバッジを盗む。それを利用して会う人ごとに FXX やCXX だと名乗る。何の会社だかわからない会社の名刺を刷り、社長だと吹聴する。その間に、日本人からサブレットした高級コンドの家賃9ヶ月分の1万5千ドルを踏み倒す。93年、日本食レストランでウェイターをしていたところを偶然某被害者と遭遇し、詐欺師と罵倒され、そのレストランをいたたまれなくなる。それ以来、忽然と消息と絶つ。
K・Y の犯罪手口はハーマン・メルヴィル「コンフィデンス・マン(詐欺師)」によく似ている。次々と衣装と役どころを代えながら登場してミシシッピ川下りの蒸気船の客から金銭を騙し取るペテン師の話である。K・Y も次々と肩書を変え、小道具のバッジやサキソホーンを魔法のごとく駆使して、日本から来たての純情無垢な人を思う存分たぶらかす。そもそも詐欺は信用関係がなければ成立しない。信用詐欺は何も疑わない人間を騙すものではなく、人間の欲望を餌で釣るのである。ここに真骨頂がある。憲二さんの場合も音楽祭へ行けば自分の将来が開けるという願望をかじられたのである。また、姉妹の場合も CXX や FXX の人に守られて安全にアメリカを旅行出来るという気持ちを手玉に取られたのだ。
アメリカの法律の立場から見て、このケースはどうか?通常、不渡小切手が1枚でもあれば詐欺罪は成立する。憲二さんが K・Y を州請求裁判所へ詐欺罪で民事訴訟を起こした。裁判所の通知後、K・Y は出頭しなければ、自分で罪を認めた事となるが、裁判で K・Y が弁償すると述べれば詐欺罪は成立しない。そして、何よりも判決に持ち込む為には決定的な証人が必要となり、それまで弁護費用も必要となる。よって、この裁判はまだ宙に浮いたままである。
世界のニューヨーク。人種万国博覧会のような雑多な人種を見て日本人は驚く。異なった文化、異なった人種と付き合う機会が皆無の国から来て、やはり日本でいわれている通り恐そうだ。何だか不安だ。だから、なぜか心配で同胞と逢うとホッとする。親戚でもないのに親戚と思ってしまう。諸君。声を高くして警告しよう。ニューヨークの犯罪は減少したが危険だ。日本人は日本人によって一番狙われている。生き馬の目を抜くニューヨーク。そのなかでもダティー・ニッパーにくれぐれもお目々を抜かれないように気を付けて下さい。
(1994年12月1日)