What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

開店から閉店まで3日間もルイ・ヴィトンでショッピングしたニッパーのショッパーについて!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
 日本人の海外有名ブランド好き、ルイ・ヴィトン好きは、その昔、1970年頃にパリの本店での狂乱行列騒ぎとなって、パリジャンの顰蹙をかい、そのミーハー的右向けならいのブランド好き国民として一躍世界へ名を知らしめた。そして、常に日本女性のあこがれの的は外国の高級ブランドを身につけたいという強い欲望である。今も海外のパリのシャンゼリゼのショップに、あるいは、ニューヨークの五番街に日本人の若い女性たちが群がっている。
 1998年6月18日付「ニューヨーク・タイムズ」紙に日本人のブランド好きの記事が皮肉たっぷりに掲載されていた。以下要約紹介してみよう。
 “バーゲンの探究―ジャパニーズがハドソン谷のアウトレット・センターに羊のごとく群れをなす”
“日本人の娯楽や気晴らしはショッピングでグッチやマックス・マーラやアン・クラインなどの有名ブランド品の買い物である。ニューヨークから東へ一時間のヴェルサーチクリスチャン・ディオールプラダなどのデザイナー店等220店も入っているディスカウント・アウトレット・ストアー「ウッドベリー・コモン」を多くのニューヨーカーは知らない。だが日本人ツーリストにとって、辺鄙な所に置かれたこのニューイングランド風様式のアウトレット・センターはニューヨークへの短い旅行であっても行くべき場所である。肩からプラダの$300のバックを下げた女性は「日本でここは有名である。」という。最近、円は下落して最低のレベルにまで達しており、アジアの経済危機で観光客は減少している。しかし、日本政府の統制管理や複雑な販売システムによりアメリカで買った方が消費物は安い。「日本人は買い物が好きである。そして、大変にラベル志向で、バーゲンを欲する。」と全米で消費者の金銭パターン調査している小売りトレンド紙のカート・バーナド氏は述べる。「彼等がここへくると、Oh my God!、これは日本で買うのより半分だわ!」と円の価値が大変に下がっているにもかかわらずである。現在、6会社がツアーを行っており、アナ・ハロー・ツアー会社は毎年16、000人を運んでいる。このアウトレットの経営会社「チェルシーGCAリアリティー」は最近より日本人のショッパーへ誘いをかけている。アウトレットの従業員には数カ月のワークショップを開いて、いかに日本人客を最高にもてなすかを講習し、売り子は攻撃的にお客へ近づかず、日本の習慣に従い、商品を盆へのせる。また、6、7種類の異なる日本の女性雑誌へ広告をのせ、いわゆる、オフィス・レディーと呼ばれている女性会社員をターゲットにした。彼女たちは最新のファッションがわかるだけでなく自由に使えるお金がある。なぜなら、結婚するまで家賃ただで両親と一緒に住んでいるからである。そして、「ウッドベリー・アウトレット」では案内所に日本語の堪能な従業員を配置し、日本人のサイズ表も持ち合せ、さらに、多くの日本人が着るサイズの2―4を用意している。ツアー・バスから降りると、文字どおり、駆け足でやってくる。いっぱいバックをかかえた女性は「日本にはここのようなショッピング・センターがない。」という。タハリ店のマネージャーは一度空港から電話があって、ここへの道を聞かれ「彼女はホテルにも寄らず、空港からリムジンでまっすぐやってきた。」という。日本に悪名高い規制がある限りアメリカまで買いにくる。
 あるヤングOL(24歳)が3泊4日のニューヨーク・ブランド買い物旅行にきた。この数年間、寝ても、醒めても、夢は枯れ野ではなくてルイ・ヴィトンを駆け巡り、ニューヨークまでたったの6万円代のエア・チケットをゲット出来たのでやってきた。その昔、日本で新しいモノグラム・ヴェルが出たとき、銀座のルイ・ヴィトンへいったが売り切れで買いそびれて悔しいおもいをした。また、ペルージの中田が、ペガスというキャスター付きの新製品のバッグをもって話題になったときも欲しかったが手にはいらず落胆したことがある。だから、ニューヨークへ着いたら、何がなんでも、いの一番にルイ・ヴィトンのお店へ行くのだと強く心にきめていた。
運悪く飛行機のニューヨーク到着予定が大幅に遅れた。もう、パイロットに石をなげたいくらい激憤した。もう、そんな航空会社は倒産すればいいんだと呪った。変な顔をされたが出迎えのガイドさんに事情を説明し一刻も早くルイ・ヴィトンの本店へいきたいといい、ホテルのチェック・イン前に店前で落としてもらうことにした。いらいらしながらバスに揺られマンハッタンへ向かった。もう、車中におけるガイドさんのニューヨーク注意話などどうでもよかった。外の景色などあってもなくてもどうでもよかった。ともかく、世界中のニューヨーク観光の人々がルイ・ヴィトンを目指しているような気がして「遅れたら大変だ」、「売り切れてたら大変だ」という妄想観念に憑き動かされていた。生憎、その上、渋滞に巻き込まれ、車はノロノロ運転となった。もう、無性に腹が立ち、今にも飛びおりて走っていきたいぐらいの衝動にかられ、プッツン寸前であった。やがて高級品店の立ち並ぶ五番街へバスがさしかかった。超有名店が軒をつらねてる。ティファニーやシャネル、バーバリー等の店前を通過して、やっとお目当ての場所へ着いた。「あった!」と叫びながら猛烈な勢いでバスを飛び降りた。偉大なるプラダセリーヌにはさまれて、というかガードされて格式高くルイ・ヴィトンが屹立していた。13時間もかけて夢の神殿へ到着したのだ。ウレッピーの感激で自然と大粒のなみだが溢れでてきた。気を取り戻して、高い高い摩天楼の谷間を見上げると大きな金ピカのロゴでLOUIS VUITTONと明記されている。ガラスのドアにはLVのイニシャルが光っている。やっとニューヨークへまできた実感が湧いた。しかし時間はすでに夕方6時をまわり閉店していた。自失茫然。ショックのあまり倒れそうになった。「どうしてなの?」お金があるのに買えないこのもどかしさ。ショー・ウインドーのガラスを割ってでも中にはいりたい衝動にかられた。そして、今すぐに何でもいいからおニューのルイ・ヴィトンを所有したい。この手で思いきり抱き締めたい、という強迫観念にかられた。こうして一向に、真夏の空気が醒めやらぬ暑い夜のビルの谷間の歩道で汗をかきながら3時間にも及びショーウィンド越しで物色してからホテルへ向かった。ベッドへ横になっても、明日のショッピングのことを考えると、ソワソワして落ち着かず、ヤニを数箱ケムリにしてやっと興奮がおさまった。明日はヤリが降ろうが鉄砲玉に当たろうがニューヨークに地震が起きようがノストラダムスの予言が的中しようが、何が何でも朝一番乗りしよう! 
 やがて朝がやって来た。開店一時間前から並んで待っていた。他に誰もいなかったが足踏みしながらパチンコ店の開店を待つ心境のごとくあせっていた。きっちり午前10時に店がオープン。慇懃にドアマンが開けてくれた。まるで王子様のお城に特別に招待されたお姫様の気分である。外人と日本人の店員さんたち全員が「グッド・モーニング」と丁寧なおじぎをしてくれた。やはり、高級ブランド店は浅草や上野の雑貨店の雰囲気と雲泥の差がある。足を一歩踏み入れた瞬間の落ち着いた雰囲気がすごくゴージャスだ。叶姉妹になったようだ。細長い店内は入って右手にガラス・ケースが置かれて小物の品物が展示され、左側には大形のバック類トランク類が豪華にディスプレーされていた。これまで数年間、水なしで砂漠を彷徨していたようなものだ。それでやっとオアシスへ辿りついたのだ。おもいっきり喉の飢えを癒さねば。
「うわー!」、あの世界で唯一のルイ・ヴィトンのシンボルともいうべき「モノグラム・キャンバス」類が色々と展示されている。モノグラム・キャンバスのトランク類、洋服入れ、タンス、スーツケース、旅行カバン、小さな肩紐のついたポシェト、靴入れバック、帽子ボックス、洋服バック、宝石入れケース、シガーケース、トイレ・キッド入れ、コスメティック入れ、シティ・バック(バックパックの色々な形とデザイン)、サイフ、ポートフォリオ入れ、封筒入れ、書類入れ、手帳、日記、各種デザインのサイフ、チェックブック、ペーパー・ウエイト、小銭入れ、キーホルダーと何でもある。ゆっくり見てまわろう。やがてお店の人に「Closing Time」といわれるまで気がつかなかった。結局、開店から閉店までお昼もとらず8時間もいたことになる。だけど店員さんたちは満面の微笑を浮かべて送りだしてくれた。

2日目も同様に開店から出かけることにした。
 「うわー!」、エピ・レザーがあった。カラフルなレザー製品だ。ブルー、レッド、グリーン、ゴールド、イエローetc.と7色もある。こんなに色が繊細鮮明でカラーマジックのようだ。ダイナミックで現代的なかたちの実質的なシティー用のバック、ポシェット、旅行アクセサリー。そういえば、「母の日」も近い、母への贈り物にこの小物入れバックが最適そうだ。これに決めようかしら、、、?。エピのサイフもすごく上品で気にいってしまった。横線の模様が美しく波うっている。右下のはLVのロゴがちゃんと入っている。自分用に買って会社の同僚へみせびらかしてやろうかしら、、、?
 「うわー!」、ルイ・ヴィトンの “ファッション” 部門を担うモノグラム・ヴェルニ・シリーズがある。ラインはきれいなベビーブルーとベージュのカラー。日本で友達も皆飛びついたやつだ。それなのに日本ではオーダーに商品が追いつかないという状況に断腸の思いで断念した。すると、若い日本の女性の観光団がはいってきた。私が見ている前でモノグラム・ヴェルニ・ラインのバックを見つけると「あった!」と叫んでいる。こうして、またも、開店から閉店まで8時間もいた。昨晩同様、店員さんたちは少し首を傾けながら満面の微笑みを浮かべて送りだしてくれた。

3日目も同様に開店から出かけた。
 「うわー!」ダミエ・キャンバスの製品がある。幾何学的な模様のモティーフで、なんだか市松模様は日本の江戸時代のセンスのようだ。シックで落ち着いている。
 「うわー!」タイガ・レザーがある。ビジネス・エグゼクティブの男性をターゲットにしたメンズものの財布だ。「父の日」も近い、ハッピー・ファザーズ・デーにはクレジット・カードや免許書やお金を入れられる財布がよさそうだが、、、?こうして、またも、開店から閉店までいて、昨晩同様、店員さんたちは少し首を傾けながら満面の微笑みを浮かべて送り出してくれた。

こうしてニューヨーク滞在の3日間の全時間をフルにルイ・ヴィトンで過ごした。みんなに「遅れると“ダサイ”!」という彼女の感覚は、「一刻も早く皆に見せたい!」という感覚へ変化していた。それだけが彼女の人生におけるすべてであった。機内へ大事にLVロゴ入りブラウンのショッピング・バックを幾つも持って帰途についたのはいうまでもない。

ニューヨーク市によると1997年にニューヨークを訪れた観光客の数は延べ3400万人で、137億ドルを落し、ここから7億1000万ドルが税金として市へもたらされた。その一部は言うまでもなく日本人によるものである。市長いわく「ニッポンノミナサン、アリガト〜ウ!」
(1999年9月1日)