What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

過激な在ソーホー日本人アーティストの アクション・ペイティングについて!

文/ニッパー中山
イラスト/シュン山口
「如何なるものが見られようとも、それは或る角度をもって見られる」マルセル・デュシャン 
 60年代の東京・新宿で、石を投げれば必ずイラストレーターにあたると言われた時代があった。80年代バブル景気の頃、ニューヨークのソーホーを歩けば必ず日本人アーティストに当たった。それほど多く、何でも在 NY日本人アーティストは数千人もいるが純粋に作品だけで生活している人は僅か5〜6人ほどであるといわれていた。その他はバイトや異なる仕事をもって生計を立て、いつか、このアート世界で華々しくデビューする日を夢見て今日もせっせと制作に勤しんでいるのである。ある人はジョセフ・コーネルのようにゴミ箱をあさってオブジェを作り、ある人は、マルセル・デュシャンのごとくチェスではないがマージャン・ゲームを同胞とやりながら死後に発表する予定のコンセプチュアル・アートを構想したり、またある人はバケツへ絵具をいっぱい入れ床のキャンバスへぶちまけたポロックのアイデアメキシコ壁画運動をポスト・モダニズム的に表現すべく、高級なソーホーのビル壁へおもいっきり力強く日出ずる国のプライドでもって堂々とペンキを塗り、斬新なエスニック風アバンギャルド・アートを発表したにもかかわらず警察へ通報されてしまった。これは明らかに神聖なアートに対する冒涜でないか、フリーダムをうたうアメリカ理念の危機ではないか。きっと、日本が世界に誇る山下清大画伯もお墓の下で嘆いているにちがいない。
92年6月27日付ニューヨークの日刊新聞「ニューヨーク・ポスト」紙によると、以下のごとくである。
「Graffiti “アーティストたち” がSohoのビルディングを破壊する。----- 最近、改装されたばかりのソーホーのコーポ住民はoutraged(憤慨)した。それは日本人アーティストたちが、昨日、ビルを見て、あたかもキャンバスのように思い、冷然とビルの壁へ巨大な Japanese character(日本語)の落書きをしたからである。33グリーン・ストリートの住民で東京のアーティストの Jiro Yamata 29才と彼の友達グループは黒と赤のひっかき線でビルの壁と歩道を覆ってしまった。ある部分は高さ3.65 メートルに及び、見学者いわく、そのジャパニーズ・キャラクターは freedom(自由)を表している、という。住民は最近8万ドルを使ってビルを改装したばかりで、びっくり仰天した。“これはvandalism(器物破壊行為)である。これは rude(無作法な)である”と住民のメール・エッカートは述べる。明日、国へ帰国する予定の Yamataは器物損害罪で felony(重罪)が科せられる。」セス・カーフマン記者。

この記事のディスクールを解読してみよう。まず「ニューヨーク・ポスト」紙は当地の三大日刊新聞の一つであり、タブロイド版で発行部数63万部。英語が多少理解出来なくても、目玉さえ付いていれば何人にも理解されやすいように多くの写真と易しい文章で構成されている。記事はまず三面記事の犯罪欄に小さく現場写真と記者の署名入で掲載されていた。これがアート欄であったなら犯罪とは看做されず、逆に、それより崇高なニュー・オリエンタル・アートと認知されて、一躍、Yamata以下、彼等はニューヨーク・アート界の寵児ともてはやされたかも知れない。残念でたまらない。悔やまれるのは私一人ではなかろう。ともかく、ヤリ玉にあげられたのはソーホー在住日本人アーティストである。
 6月28日。百聞は一見にしかずだ。幸い、ミーのアパートから歩いてさほど遠くない距離にその現場がある。初夏の風がビルの谷間を吹き抜け、観光客がそぞろに歩いている。目的の住所はすぐ判った。そこはソーホーのど真ん中で、この地区特有の5〜6階立てカースト・アイアン・ビルが建ち並ぶグリーン・ストリートとグランド・ストリートが交叉するコーナーであった。1階は有名なギャラリーや高級ブティックが軒をつらねている。あった!ものの一分もたたないうちに問題の作品は発見できた。まだ描かれてから36時間ぐらいしか経過してない。そこは新しもの好きのアメリカ人である。何でもニューが好きなニューヨーカーである。もしかして、新聞に掲載されたほどだから、数千人、いや、数百人ぐらいの野次馬がいるかと思ったが、懸念したほどではなかった。誰もいなかった。結局、ミーだけだったので、心行くまで、気がねなく鑑賞させてもらった。ともかく、すごい!唸ってしまった。驚嘆してしまった。ピカソゲルニカにも匹敵する。大きさでははるかにゲルニカを凌ぐ。これだけでも大変なものだ。たいしたものだ。歩道とビルの白壁に長さ20メートル、高さ約3.5メートルに渡っている。そして、何よりも油絵具という水で洗っても落ちないマチエールに圧倒されてしまう。勿論、絵画の基本エレメントである線と面と色は破壊され、なかでも線に関してはモンドリアンの理知的な線でもなく、あるいはポロックのような偶然性にゆだねられたような線でもなく、どちらかというと、子供のようなヘタウマの描き方で、適当に大小の漢字を散りばめている。ただし色は極東の小国らしくストイックに2色に限定しネ暗でメランコリックな国民性を反影し霊峰富士山の輪郭を黒で渋くおさえ、桜が赤で大和心の真情を強く吐露しており、日本民族の真諦をくまなく捉えている。そんな Mr.Yamataたちにとって一生一代の畢生の大作であった?だのに犯罪の物的証拠となってしまったのだ。
 もう少し、アカデミックにアート病跡学的(これは芸術家の心の風景―芸術家の深層心理を凝視・摘出する学問)に解釈してみよう。なんといってもピカソ級ですからネ!きっと、若い彼等は本邦の画壇において真面目に真剣にアートをやればやるほど日本固有の封建的年功序列的家父長的男根的学閥的な厚い壁へぶち当ったのだ。そしてスキャンダル雑誌「噂の真相」あたりを読んで、本朝画壇のカラクリにあいそをつかし、ツバを吐き、清教徒時代からいわれているランド・プロミス(約束の地)のこの国へやってきて、世界のアートの中心であるソーホーへ居をかまえたのであった。そして、水を得た魚のごとく、晴れやかで溌剌とした気分でもって、ゴッホのごとく狂ったように、猛烈に制作へ打ち込んだのだ。そしてエイズ菌のように増殖するパッションと想像力は尽きることがなかった。さすが大きいロフトも数万個の作品で満杯となった。一方、大事に作品を風呂敷に包んで抱きかかえながら、雨の日も風の日も、毎日、押し売りのように画廊を廻り作品を買ってもらおうとしたが駄目であった。1点も買ってもらえなかった。ニューヨークのアート世界のぶ厚い壁に対峙させられた。この現実を乗り越えるにはどうしたらいいか?「そうだ!」それには巨大なマンハッタンのビルをキャンバスがわりに使うのが一番だ。これこそ「Up against wall!(壁を乗り越えろ)」だ。ビルの壁でもって自分たちの前に立ちはだかっている現実の壁を乗り越えよう。第一、毎月、家賃をきちんと払っているのだから文句あるか。自分の住んでいるビルだから問題もなかろう。早速、お友達のアーティスト達を夜中に呼び集め、トイレ掃除用バケツにキャナル・ストリート画材店のバーゲンで買った数ガロンのアクリル・ペインティング缶を片手にもって深夜の外へ飛び出していった。さすがニンジャの血を引く民だけあって、隠密行動に慣れている。さいわい、警官や人陰もみあたらない。今である!チョースピードで、一気呵成になぐり描き、日本人の心象風景を無意識のうちにネオ・アブストラクト・エクスプレション的に仕上げたのだ。そして、半兵衛をきめこんでロフトへ戻り、ビールで乾杯して深い眠りについた。
 
 ところで、この都市で有名アーティストに成るための具体的な方法を列挙してみよう。あくまでミーの思い付きだが、、、
1.一番お客の来展がきそうなメジャー・ミュージアムの展を狙う。たとえば、99年2月1日付け「ニューヨーク・タイム」紙によればメトロのドガ展に52万8千267人、グッケンハイムのモーターサイクル展に30万1千037人の見学者数が記録されたとある。 
2.すると狙い目はメトロかグッケンハイムあたりである。
3.大きめジャンパーの中に自分の作品とセロテープを隠し持って美術館へ行く。すぐ大の方のトイレへ直行して、ゆっくりとキジ撃ちモードの態勢で口笛を吹きながら壁へ自作を貼りつけて、しらん顔をして出る。必ず次にダイエリア(下痢)か何かで入った人が不思議におもい、警備員へ連絡して、大事件となる。TV 以下のマス・メディアが大々的に取り上げ、犯人さがしとなる。時期を見計らって名乗りでる。どうでしょうか?ミーって浅はか?

(1992年7月9日)