What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

ニッパー中山のニューヨーク武勇伝!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
真冬の1996年2月21日であった。New Yorkerの格言に「New York の女性とNew York の天気は Never predict!」というのがある。女性はともかく、その日の天候は、まさに、その通りであった。突然、ニューヨークが霧のロンドンとなってしまった。ミーはオン・ザ・ロードのジョブが終り、その日の朝一のジェットでシンシナティより帰宅の途についていた。まもなくラガーディア空港へ着陸寸前というところで、メトロポリタン・エリアは濃霧発生のため、どの空港も閉鎖されたとのアナウンスがあり、再び、上昇して機は元の空港へ戻ってしまった。目をしょぼつかせながら欠伸を何十回と繰り返して、ひたすら次のニューヨーク便を待った。結局、16時間遅れの真夜中に JFKへ到着。疲れながら重たいバックを提げキャブを拾い、やっと我がEast VillageのPadへ帰ってきた。
早速、熱いクイック・シャワーを浴び、夜中2時ごろ食事へ出かけた。マックのハンバーガーばかりを4日間も食べていたので、無性に、ジャパニーズが食べたかった。家から一番近いジャパレスへ足を延ばしたが、こんな遅い時間なので「クローズ」の看板がかかっていた。もう一軒へ行ったが、そこも閉店だった。3軒目でやっとみつけた。そこのジャパレスは深夜にスナックとなり遅くまで営業していて悪いニッパーのたまり場のような所であった。ミーは今まで1回しか行ったことがなかった。5〜6人も座ればいっぱいのバー・カウンターに人相の悪そうなニッパーの先客2人がいた。一人はのっぽで痩せ形でヤクザのような雰囲気を持ち、この界隈ではワルという噂の男で顔だけは見覚えがあった。その男へ、一応、軽い目線の会釈をしてミーは彼の横隣へ座った。外のメランコリーな空気が店内へも流れ重く暗く澱んでニューヨークの墓場のようだった。静かにBGMのジャズがかかっていた。その男たちは相当長い時間酒を飲んでいるようで、酩酊し横柄な態度でふんぞりかえって腐った魚のような目をドンヨリさせていた。ミーは疲労こんぱいでビールを飲みながら「ザ・ニューヨーク・タイムズ」紙を広げて、注文したチャーハンとナベヤキ・ウドンを待っていた。
すると、その男は、突然、「お前、サケを飲め!」と突っ掛けてきた。ミーはやっと来たウドンを口へほうばりながら、命令的な言葉に内心おおいに不愉快だった。そんなでやんわりと、ノーサンキューした。再び、同じ暴言を3回もはいてきたので、いいかげんウザとくなりシカトを決め込んで完全に無視した。その男はえらくプライドを傷つけられたと思い尊大卑下な形相でガンを飛ばして激憤した。
ミーも食事をじゃまされて頭がトサカとなり一直線に虫酸が走った。
ミーは、ついに、堪忍袋の緒が切れた。悪酔悪癖の放漫な態度に次第とカッーとなった。あまりのしつこさに、「この野郎、外へ出ろ!」とタンカを切った。
太った黒シャツのマネージャーへ、「ここでは何なので、この野郎を地下室へ連れていって話しつけようか?」と、小さな声でウィンクしながら囁いた。すると、「ここでは勘弁して下さい」と心細い声でいう。お客もいるし、その上、店を壊されたら大変だ、という反応であった。もう一人のヤングの日本人バーテンダーはどうなることやらとハラハラと固唾を飲んで、見守っていた。ついに、ミーはカウンターのイスから降りた。手には新聞を持ち、いっちょらいのステソンの冬用フラノ帽を深く被り直し、睨み返した。するとヤツは懐へ手を入れ、ピストルを持っている素振りを見せた。まるで犬の遠吠えのごとく恫喝し威嚇を飛ばしてきた。こいつは内心ビビっているのが、直ぐ、わかった。
ミーはゆっくり表通りのセント・マークス通りへ出た。路上はまだ霧で湿っていた。
ジャパレスの隣にアラブ人経営の24時間デリがあり、その隣はレコード店である。店舗は路上より低く奥へ引っ込み、その前は5〜6メートル四方の小さな空間になっていた。革靴でツルツルと鉄板上は滑りそうだったので、そこへ降りると、その男もミーの後を追ってきた。こんな深夜の氷点下だというのに、この町のメイン・ストリートにはまだ多くの人が行き交いしていた。素手で構えていると、ピストルやナイフを持ち出す様子はなく、正々堂々と正面から向かってきた。顔と顔、目と目が合うなり火花が散った。ミーは、万が一、背後から襲われないようにと店の表ゲート側へ背を向けた。相手は15センチぐらい背が高く、力ずくでめくら滅法のパンチを2〜3発放つてきたので上半身を左右に曲げて逸らしてダッキングした。相手はミス・パンチでバランスを崩して前へつんのめりそうになった。その刹那、髪を強引に鷲掴みし、相手の頭を思いきり引き下げ、力一杯に左右のヒザ蹴りを顔面へ連発させた。相手はふらふらしながら頭をあげて仁王立ちになった。ミーはとっさに背筋をピーンと伸ばし、自分の膝裏を45度まで折り曲げた。そして、カエル飛びの構えで腰にエネルギーを溜めて一気呵成に爆発させた。0、1秒の俊足の両足タックルで相手の懐へ深く飛び込んで、そのまま、倒し、自然と相手の腹上へかぶさった。マウンティング・ポジションから相手の顔へ思いっきりゲンコツでボコボコとパンチを振り落とした。両手で顔をおおって悲鳴をあげ、ゴキブリが殺虫剤を散らされたかのようにバタバタともだえて次第に抵抗しなくなってきた。ミーはいよいよ門外不出の封じ手、その昔、1980年代、全米で一世風靡し、世界のスポーツ殿堂「ニューヨークMSG」で WWF世界タッグ・プロレス・チャンピオンになった先輩の日本レスラー、マサ・サイトー直伝の奥の奥の手「キリング目玉引き抜き技」をくりだし、人差指を魚釣り針のように曲げて、相手の目玉をえぐり出してやろうと思った。が、早くジャパニーズフードが食べたかったので堪忍してあげた。
 路上では何事が起きているのかと、この様子を数10人の通行人野次馬が白い息を吐き、眼下に繰り広がられているレアーなオリエンタル同士のストリート・ファイトを見守っていた。
ミ―はヤジ馬へ向かって、「Who is the winner?」とどなった。
「You, you!」とミーの方を指差した。悠然と帽子のゴミを振り払い、また、スナックへ戻った。何くわぬ顔で、食べ残しのウドンをすくうとNYPDのブルー制服の警官が入ってきた。何かあったのかとバーテンに話している。道にサイフが落ちていたが店の客のかと聞いている。ミーのポケットを探ると無かった。
「Hi, officer, it’s mine!」といって受け取った。
警官は「What’s happening?」と聞いてきた。`
 ミーは肩をすくめ、「It blew off by the wind!」とすまして答えた。警官は肩をすくめて両手を広げながら出ていった。
その週末、ミーはニッパーのホームボーイを引き連れてそのスナックへ行き、300ドル相当の酒を飲んで、そのヤクザ風の男のツケとして残してあげた。やっと溜飲がさがった。腹の虫が収まった。
自慢ではないが、20年間もヤンキーをやり、同胞とケンカしたのはこの1回限りであるが、往年、若気の至りでNipper Bros.のタイガー服部やトニー・ヨシダたちと、このセント・マークス通りを我らの青春路上大学キャンパスと見立てて、毎日、スパニッシュや黒人のワルガキたちとケンカしたことがあった。何、ミーかい?その昔、斯界でバンタム級チャンプとなり、崩れたカリフラワー耳で米国オリンピックコーチ証明書持参で移民局へ出向き、その場でグリーンカードを getしたニッパー中山とはミーのことである。
(1996年3月1日)