What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

我が輩はアキタ犬「Taro」である!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口

 アキタ犬が全米、および、世界中のメディアの注目を集めたのはニュージャージー州でアキタ犬「Taro」に死刑が宣告されたときである。次に注目を浴びたのは有名なO.J.シンプソン裁判でアキタ犬「Kato」が殺人現場を目撃したというものだ。
 そもそも、アイヌ神話ではオイラ犬族は人間の言葉をしゃべっていた。“オキクルミの神” が、天井から火を持って逃げようとしたのをオイラが見つけ、「逃げ出すぞ!」と言おうとしたところ、逆上したオキクルミの神は灰の団子を作って口の中に詰め込み、「ワンワン」としか言えないようにした。誰もが御存じのように祖国日本では日本犬として、古来、由緒も血統も正しく、オリジンを遡れば日本の秋田犬である。その昔は熊狩りの猟犬や番犬として秋田藩の殿様へ仕えていた。平均体重はオスが34〜50キロ。性格は忠実で、頑固である。容姿の特徴は耳が垂れた洋犬と違い、凛々しくも、いつも耳がピーンと立っているのだ。オイラ一族の一番有名な伝説は東京の渋谷駅前にある像 “ハチコウ” ちゃんである。マスターが死亡したのも知らず、忠実な “ハチコウ” ちゃんは主人が帰ってくるのを、頑迷に、9年間も待っていたのだ。戦後、オイラはアメリカ兵に連れてこられて、この国へやってきた。80年代にはヤッピーの愛犬(パピー)として、あるいは、ドラック・ディラーの護衛(ガードマン)としてもてはやされて、今では世界中 “Akita” でまかり通るまでになったのだ。「バウ、バウ」、いや、ごめん。「ワン、ワン」。
 オイラがメディアに登場したのは1994年6月27日付「ニューヨーク・ポスト」紙の第1面へデカデカと掲載されてからである。
 事件はこういう事である。
 それは1989年に遡る。夏の蒸し暑い日(ドック・ディーズ・サマー)であった。オイラはニュージャージー州バーゲン郡ハーワス町のロンとサンディーのスミス夫妻の家に住んでいた。当時、体重49キロ。色は茶と白の純アキタ犬で「Taro」と呼ばれていた。ある日、近所のウェルシュテリア犬「マックス」と喧嘩に巻き込まれた。マックスは死亡し、オーナーは明らかに計画的殺犬であると主張した。郡の司法当局はただちにオイラを郡より追い出す命令を下した。スミス夫妻はオイラにこれ以上問題が起きないようにと、センディーの両親が住んでいるニューヨーク州ブロンクス区へ移してくれた。オイラは一時的にクラーク家にあずけられ幸せいっぱいに暮らしていた。
 1990年までは、すべて順調であった。スミス夫妻の家で親戚一同が集まるパーティーがあったので、クラーク夫妻はオイラもそこへ一緒に連れていってくれた。パーティー後、オイラは寝室でうたた眠をしていた。スミス夫婦の姪子ブリエ(当時10才)は格言 “さわらぬ神にたたりなし(レット・スリーピング・ドックス・レイ)” をまだ知らなかった。ドアは90%閉まっていたがブリエが音をたててドラムスティックをふりまわしたと、サンディーは言う。オイラはドラムステックにじっとしていられなくアクションをおこした。姪子は唇へ深い傷をおった。現在、彼女は良好であり、小さな痣が残ったが16才になるのを待ってそれを取り除く手術を受ける予定であると、サンディーは述べる。
 オイラは即座にニュージャージー州の犬権無視で欠点のある動物法で逮捕され、郡の裁判所へ連れていかれて死刑の判決を受けた。オイラはすぐ失踪してブロンクスの実家に帰って隠れていたが警察が追跡してきた。再びニュージャージー州へ強制送還され、警察はオイラを失踪させた容疑者としてスミス夫妻を起訴した。夫妻は田舎の動物愛護家がオイラを逃亡させたと、供述した。結局、スミス夫妻は保護観察で許されたものの、4ケ月の間、裁判所へ出頭しなければならなくなった。その間、オイラの事件は裁判所から裁判所へたらい廻しにされ、最終審理直前まできた。
サンディーはオイラをアキタ犬愛好家がいるカナダの新しいホームへ送る用意があると申し入れたが、検察側は再び噛む怖れがあるとして拒否した。我々はギブアップしないと、3人の子供がいるスミス夫妻は述べる。これは動物の生命を守るという事だけではない、いかにこの町で、分からず屋の裁判官が自分たちの手で法律を管理しているかを示す一例になると、いう。一番上の娘ローレンがパーティーを開いたとき、Taroはいつもパーティーの一員であった。80人の子供たちを裁判所へ呼ぶことができ、Taroがいかに良い犬であるか証明できる。Taroは息子ショーンとフットボールしながら遊んだこともある。雪の日には、Taroは多くの子供と遊び、雪の中を走り回り、絶対に誰も傷つけることはなかったと、スミス夫妻は弁護してくれた。マックスのオーナーのウィリアム・ボーデイ氏は反論を述べる。犬は絶対に放し飼いにすべきでない。マックスは繋がれていた。Taroは放されていて、自分たちの中庭へやってきたのだ。子供へ攻撃する犬は、断然、処刑すべきだと、述べた。裁判の進行中、オイラはバーゲン郡の死刑犬房へ収監され極悪罪犬と看做され、時折、非友好的な15匹の警察犬と庭で遊びながら過ごした。
日常生活の躾に対して、子供と大人とオイラの違いがわかるかい?教えてあげようか?
 「子どもは あけはなつ。
 大人は しめる。
 犬は そばで まつ。」
             きたやまようこ「犬のことば辞典」(理論社)より。
 1997年1月29日付「 ニューヨーク・ニューズ・ディー」紙は「 Jersey Dog Beats Death Raw!」と、また同日付「ニューヨーク・ポスト」紙は「Taroの処刑命令に待った!」とのニュースを大きく掲載した。オイラは死刑(デス・ロー)を宣告されたドックであった。デス・ロウで千日以上も過ごした後で、やっと待望のニュースを受け取った。
See ya later, jail cell! New Jersey-I’m outta here.
昨日、オイラはニュージャージー州知事ホイットマンより死刑執行中止が認められたのだ。オイラは3年間も死刑を宣告されニュージャージー州バーゲン郡の死刑因犬房へ監禁されていた。犬にとって3年は人間にとって21年に相当する。ほんとうに長かった。その間、スミス夫妻は刑務所へ慰問し続けてくれた。昨年の春は短い時間であったがオイラたちは会えた。「Taro!Taro!」と呼んでくれたので、オイラは飛びつき、大声で「Bark! Bark!」と答えた。また、彼等が独房のなかへ入ることが許されない日でも、ビルの外から大声で話しかけくれて、いつも餌をほうり投げてくれた。
 今まで長い間、オイラの事を社会への脅威であると主張し、裁判所ではオイラの運命に関して法廷闘争が繰り広げられていた。多くの新聞が取り上げ、テレビではストーリーと成り、また、フランスの有名な女優ブリジット・バルドーまで抗議の声をあげてくれた。
 裁判で、親戚の一人はブリエが寝ているTaroへドラムスティックを振り回し襲撃をあおいだ、と証言した。だが当局はTaroが少女の唇を噛んだ、とみなした。誰を信じるか?ブリエがオイラの足にぶつかり深く傷を負ってしまったのに、、、。その上、不幸にも、オイラにはウェルシュテリア犬殺しを含む、他の犬に対して攻撃したという前歴が残っていた。
 これまで、全ての関係者は多大の時間とお金をこの事件に使ったと考えている。郡はこの起訴に対して税金6万ドルを使用した。スミス夫妻は裁判費用に3万ドルを使用した。刻々と3月1日の処刑最終期日が間近に迫っていた。裁判所とスミス夫妻はオイラの釈放の件で最終決定を出すのに30日間も論議した。「やっと、この問題に終止符をうつ時がきた。」と裁判所は述べた。しかし、「Youは 四つ足の動物(クリチャー)なので恩赦ではない。」という。今回の裁判の仲介をしてくれたニューワーク市ラトガー大学の動物権利法律センター所長ゲリー・フランシスはTaroは人間でないので恩赦も特赦もなく、州知事の死刑執行中止だけが最後の望みだったと述べ、犬権擁護の立場から裁判所とオイラの釈放条件について交渉してくれていた。
第一に、オイラはニュージャージー州から出ること。
第二に、ニュー・オーナーは、今後一切、ニュージャージー州に責任を問わない。
第三に、現在フロリダに住んでいるスミス夫妻のところへは戻さない。
こうして、釈放された。
 あ〜あ、寸是のところで、オクラホマ・シティー連邦ビルを爆破させたティモシー・マクベイ死刑囚と同様に薬物注射され、目を開いたまま絶命するところであった。これこそ犬死にだ。これで天寿をまっとう出来そうだ。
そもそも、人間の子供とオイラ動物はどう違うのか分かるかい?
動物なら殺して食べていいというのかい?
大体、本能が壊れた人間が万物の霊長類の長と勝手に僣称した結果ではないか?
最後に、子供と大人とオイラではウソに対してどういった態度をとるかわかるかい?教えてあげようか?
 「子供は ばれるうそを つくが
  大人は ばれないように うそを つく。
  犬は つけない。」 きたやまようこ「犬の辞典」(理論社)より。
(1998年8月19日)