What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

ゲイとニセ結婚してグリーン・カードしようとしたギャル!

文・ニッパー中山
イラスト・シュン山口
学生のときは英文学を専攻していた。しかし、英語はまったく駄目で、いつかアメリカへ行き、もう一度、勉強しようと夢を抱いていた。卒業後、3年間OL し1年分の留学費を貯めてニューヨークへやって来た。学校で会った日本人と、必ず、話題となるのは「ピザとビザ」のこと。ピザは安くて美味しく、どの街角にもあり、貧乏な学生には最適の食べ物である。ビザの方はこの国へ来た人なら誰もが、必ず、頭を悩ます問題である。あっという間に1年近くがすぎた。そろそろ日本へ帰らなければならなくなったが、本国での憂鬱な人間関係を思うとうんざりする。このまま何とかこの国に滞在したいけれど、俗にF-1と呼ばれている学生ビザの場合、学校を辞めたら帰国しなければならない。もし不法滞在が発覚したら、10年間はアメリカへ再入国出来ない。合法的に滞在するにはビザのスポンサーになってくれる企業を捜してH-1専門職ビザを獲得するか、又は、アメリカ国籍の人と結婚し、永住権を申請するしかない。特技もないので企業を捜すのは難しく結婚の方が一番手っ取り早そうだ。
ニューヨークへ来て3ヶ月目に、チェルシーのアーティスト・パーティーでアッパー・ウエスト・サイドに住んでいる32才の白人会社員と知り合い、すぐ恋愛関係に陥った。本当に好きなのでこの人と結婚してもいいと思っていたがその関係は長く続かなかった。ある時、頭に浮かんだのはニセの結婚である。とくにゲイの人と結婚すれば、万が一にも肉体は無関係でいられる。求めてくることもない。こんな事、お願い出来る人なんていない、だけど、元彼なら、、、分かってもらえるし,誤解されなくてすむし、馬鹿な事考えてないで、、、と叱ってくれるかもしれない。元彼に、ニセ結婚をしたいからゲイの人を紹介してと頼んでみた。思いがけなく、八方手をまわしてくれたのか、結婚相手をみつけてすべて話しをつけたからと、その人の電話番号を教えてくれた。ビザの有効期限が迫ってきている、躊躇している余裕なんて少しもない、勇気を奮って電話すると、ブルックリンのある地下鉄の駅前で落ち合う事になった。
まだ、ブルックリンがどこにあるか漠然としかイメージを把握できなかった。案内書をひもとくと、ニューヨーク市の南西に位置し、その名はオランダ語のブラークラン(裂けた島)で、山の手線の内側位の面積に250万人が住み、10ぐらいのミニ独立国があるという。何だか電車に乗って違う国へいくみたいだ。
 凍るように寒い冬の午後にサブウェーD線に乗車した。車内は人種国際見本市みたいだ。白のニットの帽子をかぶったモスレムの黒人、ラスタの人もいる。まるでペンギンみたいに長い髪と黒のツバの広い帽子と黒の上着と黒のズボンはユダヤ人で、その子供は頭に小さくて丸い刺繍入りの皿のような帽子をのせている。漢字のロゴ付きのショッピング・バックを提げたチャイニーズの人もいる。汚い格好の黒人のオジさんのホームレスが “God bless you” といって手に持ったコーヒーカップで小銭をねだっている。サブはマンハッタン橋をガタコトと落ちるのではないかというほど左右に激しく揺れながら、ゆっくりと自動車道の横の路線を走っている。下はイースト川だ。南へ目を向けると有名なブルックリン橋が見え、さらに、遠方の南にはきらきらと輝く海面上の一点に、豆粒のような自由の女神が見える。サブはまた地下へもぐり、再び地上へ出て高架線となった。指定の駅で下車しストリートへ出た。落ち合うスタバのコーヒーショップはすぐみつかったが30分も早いので、その辺をおっかなびっくり散歩することにした。けたたましくテンポの早いリズムの音楽がガンガンとレコード店からタバコ屋から発している。よく見るとヒスパニックのデリ、チャイニーズのテイクアウト店、アフリカンのパーマネント・サロン、KFC にはチキンナゲット6個$2.25とポスターが垂れ、LEE’sやKIM’sと看板のかかった韓国人経営の八百屋に大きなイモ類や青いバナナが山積になっている。褐色の子供たちが遊んでいてカリブ海の国みたいだ。
やがて、その人がやってきた。スパニッシュの人で満面にやさしい微笑を浮かべ、手を軽く触るか触らない程度の握手をして自己紹介してきた。髪は黒く、目はダークで、耳にきれいなピアスをして、手腕にはタトゥーがはみでていた。カプチーノを飲みながら、両親はカリブ海プエルトリコから来てブルックリンで生まれ、今はチェルシーのブティックで働いているという。30分ぐらい世間話してから結婚話の核心へと進んだ。値段ははっきりといわなかったが、100万円ぐらいかと想像していた。ニューヨークから4時間でラスベガスへ着く。ベガスでは24時間営業の結婚チャペルがそこら中にあり、エアーポートへリムジンを迎えにこさせて、お互いレンタルのタキシードとウェディング・ドレスを着ればOKだ、という。式には彼のボーイフレンドに証人として来てもらい、私が結婚指輪を用意すれば、後はすべて彼が手はずを整えてくれる、という。
ニセの結婚だが、本物の純白のウェディング・ドレスを着た自分の姿を想像すると、急に、目頭が熱くなった。本当は元彼とこうなる事を願ったが、皮肉にも私のためにその人を捜して元彼は誠意を尽くしてくれた。幼い頃から夢見ていた私の旦那様が今こうして私の目の前にいる!母親だって私の結婚姿を見ようと、人生を心待ちして生きてきたのにちがいない。何だか心が悲しくなり、自然と氷のような冷たい涙があふれ出てきた。その人をその場に置いて、ワンワンと泣きながら急に外へ飛び出してしまった。自分のふがいなさとやるせなさ、自分の卑劣さに悲憤慷概してしまい、やっぱり、ゲイの人とのニセ結婚は止めようと改心した。青春25才のニューヨークであった。
(1986年3月20日)