「ロシアの白熊」ニコライ・ボルコフが死亡!
生前、会うごとに、ユニークな日本語の隠語で女性器を意味する「OOOO!」を連発していた!
去る7月29日、世界のプロレス・メディアの間ではレジェンド・レスラーの「ロシアの白熊」ニコライ・ボルコフ(本名、ヨシップ・ペルゾビッチ、享年70才)がメリーランド州ボルティモア郊外の自宅で死亡との記事が流れた。故人とはリングの内外で接する機会があり、ユニークなエピソードを記したい。ユーゴスラビア生まれのボルコフは60年にカナダへ来て、名門スチュー・ハートのプロレス道場へ入門した。70年に渡米してアメリカ国籍を取り、WWWF(現WWE)に参戦。時は米ソの冷戦の最中であり、WWWFでコミュニズムのロシア人としてのヒールなギミックで登場したが、もともとユーゴ移民である本人はコミュニストを嫌悪していた。しかし、マネジャーのブラッシーから「コミュニズムがいかに悪であるかリング上で、教えてあげればいい」と説得させられた。試合前の恒例のセレモニーで、赤のジャージ姿から観衆への起立を促し、調子はずれのロシア国歌を歌い、サムズ・ダウン(親指を下に向ける)の大ブーイングを浴びて、興奮度を煽った。
85年3月31日、歴史的なWWF(現WWE)第1回レッスルマニアでボルコフはアイアン・シークと組み、バリー・ウインダム&マイク・ロットンド組を負かして世界タッグ王者となる。1995年にWWFを去りセミリタイアし、地元メリーランド州ボルティモア郡警察体育局リーグのレスリング部コーチについたり、ボルティモア郡の議員に立候補したが落選したりした。また2016年のメリーランド州共和党予備選挙ではトランプ支持を表明して、脚光を浴びた。日本への初来日は、1972年7月に日本プロレスへザ・モンゴルズとして登場。以後、ロシア人の大型ヒールとして新日、全日のリングへ登り、通算8回来日。そこで、プロレス以外のユニークな日本文化に接したのであろう。
ボルコフはリング内から私を見つけたり、アリーナの通路で出会ったり、サイン会の会場で顔を合わせると、いつもニコニコ顔となり「オゲンキデスカ?OOOO! OOOO!」とこちらが赤面するぐらいの大声でユニークな日本語の女性のシンボルの隠語を連発して私を笑わせてくれた。実に陽気で面白く、冗談好きの愛すべきキャラの持ち主であった。God bless you.