What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

ニューヨークのアマチュア・女性・ゼリー・レスリング大会!

ニューヨークは本格的な冬に入り、今日、早くも初雪がふった。街はメリークリスマスに向けて、一段と喧噪となってきた。寒い冬を吹き飛ばすがごとく、男性顔負けの面白い女性だけのマチュア・ウーメンズ・ゼリー・レスリング大会(支援ニューヨーク・フェミニストファイト・クラブ)が12月2日(現地時間)開催された。マンハッタンのドレンディーなローア・イースト・サイド地区のパンク・クラブ「アレニー・グロッサリー」に特設リングが設けられた。リングといっても子供用の空気入りプールに、子供がデザートに好きな赤色と緑色の食用ゼリー50ガロンがひき詰められた。ニューヨーク州の牧場からきた男まさりの巨大バスト X 級レスラー「アップステート・カウ・ガール」、看護婦で SM 嗜好のレスラー「ナース・ビッチ」、エアロビクス出身の筋肉レスラー「マッスル・ウーメン」、キルトスカートをはいたスコットランド出身のレスラー「スージー・マクゾリー」など6名がウーメンズ・スポーツシップとショーマンシップにのっとり参加。ゼリーに足をとられてすってんころりしながら、ゼリーをかけ合あい、投げつけ、激しく立ち技&寝技の熱戦が繰り広げられて観客を楽しませた。

超過激なエロチック・プロレス団体WEWでエイジアン・アメリカンのパイ出し娘レスラーがデビューし大ブレーク!

アトラクションにヌードダンサーによるポール・ダンス・コンテストが催される!

 アダルト・スポーツ・エンターテイメントを看板にWEW(ウーマンズ・エキストリームレスリング)団体が旗揚げして5年目となる。隔月でPPVマッチを開催している。現在、アメリカで最大の女子プロ団体となり、そのエキストリーム(過激)な “大人のプロレス” は “ウーメンズ・エロチック・レスリング” 愛称でバチェラーの間に爆発的な人気。12月14日、WEW「なんでもありメリクリ大会」は、この国で最もプロレスが盛んなペンシルベニア州フィラデルフィアからで、会場のインディーの聖地ECWアリーナ(現ニュー・アルハンブラ・センター)は、まさに性地となった。もちろん、21才以上のみ入場可、女性の観客は一人もいなく、鼻血ブーな若者で超満員となりアダルト・ムードが充満。今回、WEW 初デビューの米国系アジア人(エイジアン・アメリカン)女子レスラーのドラゴン・リリーとアニー・クルーズがシングルマッチで対戦。いや乳戦!興奮した二人はTシャツを脱ぎ、ブラを取り外し、ついに美乳をプリンプリンさせながら、もつれたり、ほどけたりのエッチなマット動きで、野郎たちに何回も生唾ゴックンさせて大ブレークした。ドラゴン・リリーはハワイ出身、日本人と中国人の混血で背中にドラゴンの入れ墨。アニエ・クルーズはサンフランシスコ出身、フィリピンとスペインの混血でラスベガズ在住。スペシャル・アトラクションはリング横に鉄棒が立てられ “ワールド・ダンシング・ポール”選手権にビキニ姿のダンサー4人が挑戦。天井近くまで登りアクロバットなエロチック棒ダンスでビッグ・デックに欲棒をボッキさせた。

B’klyn のソール(soul, sole)の謎?

電線に吊るされたスニーカーのミステリー?

 ニューヨークのマンハッタンはビジネスと観光の街。裸足のニューヨークはブルックリンにある。
 2007年11月25日、ブルックリンのある地区の電信柱の電線に、多くのスニーカーが投げつけられて架けられ、空中にただよっている。メリクリが近くても、断じて、クリスマス用の飾り付けではない。
 マンハッタンのウィリアムズ橋を渡ると、最近、工場跡にロフトやギャラリーができて「第二のソーホー」とまで呼ばれている。元々はプエルトリコ人とユダヤ人の居住地だ。東ウィリアムズ地区のキグスランド番街とジャクソン通りの交差点がそのミステリーのグランド・ゼロ(爆心地)であり、電線に多い時で72足のスニーカーがヒモで結ばれて、宙に浮かんでいた。
 なぜ、運動靴がぶらさがっているのか誰もが首をかしげる。何かのオマジナイか?それともこの地区での事件や伝説からの可能性として、その昔は麻薬売り買いのヤバい場所であり、警察が犯人に暴行を加えて死亡させたことがあるので鎮魂のためか?あるいは、ストリートキッズたちがスニーカーを投げつけたのは都市版の馬の蹄鉄投げの遊戯か?
 都市神話として、電線に運動靴を架ける事の記録は何もなく、証明できないフォークロアである。謎の B’yklin (ブルックリン) のソールなミステリーである!

ニューヨークのハロウィーン・パレードにテロリストも行進!

10月31日(現地時間)、ニューヨーク州ニューヨーク、マンハッタン・イーストビレッジにて。
ニューヨークは秋たけなわ。朝夕はめっきり涼しい季節となってきた。どの商店にもカボチャのお化けが飾られた。10月31日はハロウィーン祭日。子供たちは学校から帰宅すると、すぐにハロウィーンコスチュームに着替え、母親に連れられて、お菓子店やキャンディ店を廻り「トリック・オア・トリート(お菓子をくれないと、いたずらするぞ)!」と歩き回った。我がマンハッタンのイーストビレッジには親子のテロリストが出現。ニューヨーカーにとって、一番怖いのは、今もテロリストのようである。夜は恒例の世界最大で、第34回ニューヨーク・ビレッジ・パレードが夜6時から10時まで、マンハッタンのグリニッジ・ビレッジの6番街を大行進。今年のテーマは翼。地獄の門が開き52の音楽バンドと山車と天使の羽翼団の次に、ミイラ、ガイコツ人間、スーパーマン、ドラキュラ、モンスターなど、いろいろな仮装コスチュームの老客男女数千人がパレード。沿道には数十万人の観光客がラッパを吹き応援した。

新しくウェブギャラリーを開設しました。

“KUNST WUNDERKAMMER: Manieristen Fotografin Galerie by Cage Nakayama” といいます。
または、”ケイジ中山驚異写真博物館”ともいいます。
左のサイドバーの一番上からリンクして行く事が出来ます。
または、下記のURLに直接アクセスしてください。

http://web.mac.com/cagen10003/

ぜひ御覧下さい。

若者よ、革命を想像(スモーク)せよ!

西はマリワナで東はマリファナ
 シェークスピアいわく “君の美を五月晴れにたとえようか” という季節。冬にチャイニーズのオバちゃんと競争して拾ったギンナンの木々も葉っぱをつけ、このグリニッチ・ビレッジのワシントン公園は観光客、大道芸人にまじって、異形のストレンジャートライブが三々五々、ホップ・ステップ・ジャンプと蝟集してきた。日本のバロックの原像、安土桃山時代にカブクと思われるのは、ニワトリのトサカのように髪をレッド・イエローと染めて破れジーンズのパンク族。肩まで長いヘアーをクール・ブリーズになびかせ、レース付きロング・スカートやベルボトム・パンツにサンダル履きがヒッピー族。真剣なおしゃべり(ラップ)をしているのがイッピー族。 ヤッピーは追い返された。
 スワッと気の早いライジング・サン観光のツーリストは、ニューヨーク名物 “ポスト・モダニズム” のパフォーマンスかと取り囲んだが、違うのでありました。これは年次恒例、ウ〜ヒ〜ヒ〜!知る人ぞ知り、知らない人は知らない、アタリ前田のクラッカー的なリーガナイズ・マリファナ大会である。
 それで、ハナシの続きは何だったっけ。ソ〜ウ、ソ〜ウ、それは喫煙集会(スモーク・イン)である。スモーク・インといっても、例の最近制定された公衆における禁煙に関する法律に反対して、ヤニ中毒者がマルボロ、ラーク、ケントなど、要するに政府公認の市販タバコを腹いせにスパスパと青天白日下で吸うのではないの。これはれっきとした、60年代から70年代にかけて高揚したアメリカ対抗文化(カウンター・カルチャー)のグラス・ルーツ(草の根)運動であるのだ。
 畢竟、言語学的にみても、“イン” とか “グラス” は両義的な語彙であります。祭日に主に宿泊するのが “ホリデー・イン”、集まって踊ったりして魂の交換をする集会が “ビー・イン”、学生がデモで座り込むのが “シット・イン”。トイレ滞在は “シィト・イン”。間違わないように、念のため。ジョンとヨーコが得意だったのが “ベッド・イン”。
 グラスのスラグというかスラングのグラス(草)はマリファナである。ウェスト・コーストはマリワナ、イースト・コーストはマリファナと発音し、微妙に異差されているのだって。日本ではマリファナの草の葉っぱからとって、単に “ハッパ” と若者の間で呼ばれ、イースト・ビレッジのセンマル通りの広小路A では、この日本語がディーラーのニッケル・バック売りで立派な市民権をえている。マリファナ漬けの人を“ティー・ヘッド”。その他、“ヘンプ”、“カナビス” や “スモーク”、“ポット”、“ウィード(草)”、“フィバー” “ガンジャ”、“セス” など、いろいろな俗語で呼ばれている。また、巻きタバコを “ジョイント”、その残りを “ローチ”、以上。インディアン嘘つかない!
 それで集会に参加し、ストーン(酩酊)になるまえに日米大麻比較論へテーゼを進めておく。
 大きな麻(あさ)とかいて大麻(たいま)と読む。中央アジアが原産地でクワ科の一年草。アラブのラクダ商隊がシルク・ロードを通って帰還する際、お茶代わりにたしなめたのが始まりとされ、オリエンタリズムとして世界各地へ分布した。ホンマかいな?戦前、旧薬事法で、印度大麻草とその樹脂およびこれを含有するものは麻薬扱いを受けたが、印度以外の大麻草はその対象外とされた。だからチョット変な匂いする洋モクぐらいに思われ、平気の平座で日本中の紳士がベトナム産、タイ国産を町中で吸っていた。ところが敗戦後、日本国憲法制定上のアクシデントとして、1948年、連合軍総司令官マッカーサーより大麻取締法が強制的に押しつけられた。これが現在も継続しているワケ。若者よ、革命を起こせ!若者の娯楽を奪い返せ!とかなんとかいっちゃって。
 ところで、久保田二郎ハカセ説によると、日本産で第一位の上ブツが奄美大島モノである。北海道モノが第二位である。よってなぜこの妙薬が南北分断されて野生するのか、ギネス級の世界の七不思議の一つに数えられている。そこで、奄美大島在住のヤポネシア論の島尾敏雄センセイ説に依拠すると、そもそも前古代史において、北海道のネイティブ・トライブであるアイヌが日本列島を縦断し、沖縄まで南下した時期があった、と述べる。つまりアイヌが南方へ持ち込み改良して最高ブツに育成させたのだ。よって日本国マリファナ伝播起源説を筆者はアイヌと看做す。やはり、問題は周縁から出てくる構造があるのね。よって周縁論の山口昌男センセイに依拠すると、このマリファナ天皇制が表層・深層においても通底しているんだって。世界はまったくどこでエンカウターするかわからない。
 昭和25、6年頃、皇居の旧外堀の石崖ぷちに野生のマリファナが生えているというウワサが飛んで、夜中にそれを取りにいった楽隊員がお堀に落ちたそうである。外にあるなら内はもっとあるのではないかと誰もが考えるだろう。そう、その通り!皇居の中の陛下の吹上御苑は野草の群生となっている。そもそも、生物学者としての昭和天皇には雑草という概念は認められない。おそれおおくも全ての雑草はそれだけで学術的研究価値を持ち、かたくなに一切の雑草を抜くことを許されない。このなかにマリファナが野生しているのだ。今度、お正月参賀の時、とりに行ったら。責任は持てないけど〜ぅ。蛇足ながらミーは東京モノのブツ名を “フジ” と命名する。

個人の健康管理に立ち入るな!
 60年代のニューヨークのイースト・ビレッジはマリファナ入りアイスクリーム、それも上モノのアカプルコ・ゴールドやパナマ・レッド入りが堂々とイースト・ビレッジで売られていた。ドラッグ・カルチャーのその頃は、あらゆるヤクがなかば公然とストリートで売られ、ハッシッシもいっぱい出まわっていたのよ。それが、エイズの元凶とかなんかでヤクの取り締まりがきびしくなってしまった。
 それでも連邦麻薬情報機関の発表によれば、86年度にアメリカでマリファナを喫ったことのある人は、常習者、非常習者合わせて2000万人以上と推定され、プロフェッショナル栽培者が9万〜15万人、アマチュア栽培者が100万人以上とされる。世界の年間収穫量が9365〜1万3405トンで、その内7500〜1万1650トン(80〜86パーセント)がアメリカへ輸入された。また、2100トンが国内生産された。不況にあえぐ零細農民の最も良い現金収入源がマリファナ栽培であり、生産量が最も多いのはカリフォルニア州で、続いてハワイとオレゴン州である。
 マリファナ専門誌「ハイ・タイム」は、室内用マリファナ栽培ランプが85年だけで3100万個売れ、御存知、竹でもないのに “バンブー・ペーパー” と称されるスペイン製巻き紙が4500万ケース輸入されたと報告する。
 1975年、アラスカ最高裁判所の判決は、成人自宅で個人的に使用するためのマリファナ所持は法律的に守られるとの見解を下し、売買以外の所持は自由と認められている。次にオレゴン、カリファルニアでは個人使用が認められている。しかし州により重罪に処せられる所もあるから気をつけること。ちなみに、ニッポンの友人がマンハッタンで路上のディーラから購入した時にポリスにみつかり、ブツは没収されて罰金チケットをもらい、後日、裁判所へ60ドルを支払っただけだった。
 ワ〜イ〜ワ〜イ、ガ〜ヤ〜ガ〜ヤ。この日だけは警備のNYPD警官たちも大目にみていた。この日、スクエア・パークはヒップな解放区(カルチェ・ラタン)となった。静岡でもないのにティー(茶)の香りが充満し陽気なマリファナ大パーティーがあけっぴろげに催された。ペットの犬やネコ、野生のリス、ハト、モグラも参列し、パンツをはいたサル達をソット肩をすくめて冷笑し、騎馬警官の馬は興奮してポリスを放り投げ、幻のニンジンを求めてバク進してしまった。 
 やがて、ロック・コンサートとなった。クアウウウウ、ギャアアア。エレキ・ギターが嵐のようにさけび、スピーカーが金属音でサク裂した。音が、サウンドが、チュウハイし、早くも、目も耳もマリファナでホンワカのマイクロバッパー、ティニーバッパーはラリはじめてダンスをおっぱじめた。どこからとなく、まわしのみのジョイントが10秒ガンガンと回ってき。皆がハイと挨拶しながら酩酊(ハーイ)となり、スピリットが高揚(ハーーイ)すると奄美のハブのように身体を悶えさせ参加者たちのエネルギーが点火爆発した。マーチだ。パレードだ。ページェットだ。若者よ、革命を想像(スモーク)せよ! 「Legalize Pot (マリファナを公認しろ)」のノボリを先頭に数千人がシュッパツー進行。百花放縦。勝手気侭。NYPDのポリスに守られながら、いなご集団のごとく、ザクト・ライオンのごとく、ZIG・ZAGと数千名がトリップしながら行進した。道行く人たちは、ただ呆気にとられ、ただただ、オー・マイ・スモークと驚きの声をあげた。そのあと、その声は歓喜となった。
 路上に落ちていたシガレット、ナプキン、トイレット・ペーパーらの紙類は、ことごとくジョイントに使用された。市のサニテーション・デパートメントもびっくりするほど、デモが通過した後はクリーン・アップされ、アイ・ラブ・ニューヨーク・キャンペーンに一役買ったのはいうまでもない。そして、この日は、市長も御満悦だったといわれる。
 最後に60年代のヒッピーの聖地イーストビレッジのトンプキンソン公園でピース&ラブのロック・コンサートが開催された。
 「我レオモウ。汝ニハ服一ノ『マリチャン』ガ必要ナリ、一服ハ聖ナルカナ」。あたり一面に至福の時間が訪れ、やがて摩天楼に夜のトバリがおりてきた。ジ・エンド、Dig it!

ワシントン・スクエア・パークにて