What's new? New York! ニッパー中山 & ケイジ中山のブログ

NY在住?0年のライター&カメラマンがハードコアな三面記事などを紹介。

10年ぶりにメキシコシティへ観光旅行に行き、スリに遭遇して財布を盗まれた!

これまでメキシコには仕事で10回くらい行き、何のトラブルも起きなかった。今回は純粋に観光目的で、約10年ぶりの4泊5日の旅だった。ニューヨーク JFK からメキシコ市の空港 MEX まで、所要時間5時間。まだメキシコは半袖で十分な気候であった。空港から一番安く市内へ入る方法はどこまでも5ぺソ(約30円)の地下鉄で、これを利用した。午後4時に有名な「リフォマー」大通り近くのホテルに到着。早速、市バス(6ぺソ、約33円)に乗車して、中心地のイダルゴで下車してから、アラメダ・セントラル公園を横切り、最も混雑するストリートを散歩しながら国立宮殿まで歩いて、遺跡のテンプロマヨールを見学した。夜も8時頃になり、辺りは暗くなり、その上、疲れてきたので地下鉄でホテルへ戻ることにした。地下鉄駅 Zocalo に着くと、運行が遅れているのか、観光地でいつもの事なのか、金曜日の夜で週末のせいなのか、ホームは満員ですごい人出で溢れかえっていた。3本の列車を見送ったが、一向に乗車客は減らず、ついに、満員の電車へ強引に乗り込んだ。車内では身動き一つ出来ず、だがたった一駅で乗り換えだったので、下車する駅まで耐えていた。やっと乗り換え駅へ到着し、地下鉄のドアが開いたので、肩から下げたバックを両手でしっかりを押さえて、どっと押されてプラットフォームに出た。その瞬間に無防備な下半身のズボンの左ポケットから財布が抜かれたのだと思う。全くその感覚はなかったが、確かめた時にはすでに財布が無くなっていた。スリにやられたのだ。ホームにいたポリスに事情を話して、地下鉄を5駅乗り、警察署の被害届局まで連行されて調書を取られた。全く、ツイテない夜で、自分が惨めで、酷く落胆したが、旅行保険に加入していたのが不幸中の幸いだった。ただクレジットカードにIDに免許証に、再発行手続きが大変だった。

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カムデンの写真集を出品しました。


iBook Store に写真集を出品しました。

なぜかうまくバッジが貼れません。しばらくは下記からお願いします。

 

geo.itunes.apple.com

<a href="https://geo.itunes.apple.com/us/book/design-illusions-in-forgotten-camden-nj/id1438796663?mt=11" style="display:inline-block;overflow:hidden;background:url(https://linkmaker.itunes.apple.com/assets/shared/badges/ja-jp/get-it-on-apple-books-lrg.svg) no-repeat;width:141px;height:40px;"></a>

 

 

上のアップルバッジをクリックすると手に入ります。よろしくお願いします。

本の説明:カムデンはニュージャージー州の南端にあり、大都市ペンシルバニア州フィラデルフィアよりデラウェア川を渡ってすぐの町である。かつて、その町は工業がたいへん繁栄した町であった。しかし、第二次世界大戦後、外国からの安い製品がこの国に溢れ出した結果、次第に会社や工場が閉鎖されて行った。住宅や居住地はそのまま放置されて荒廃していった。その結果、全米で最悪の犯罪の町と化した。90年代に、私は何度も、この廃墟化した幽霊のような町を歩いた。そして古い住宅やビルの壁の特異な建築デザインを発見した。私はそれらに魅了され、写真を撮り始めた。いくつかの写真で、見る距離によってタイル目地が浮いて見えたりへこんで見えたりする目の錯覚が起きる。これは面白い現象だ。

 

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「ロシアの白熊」ニコライ・ボルコフが死亡!

生前、会うごとに、ユニークな日本語の隠語で女性器を意味する「OOOO!」を連発していた!

去る7月29日、世界のプロレス・メディアの間ではレジェンド・レスラーの「ロシアの白熊」ニコライ・ボルコフ(本名、ヨシップ・ペルゾビッチ、享年70才)がメリーランド州ボルティモア郊外の自宅で死亡との記事が流れた。故人とはリングの内外で接する機会があり、ユニークなエピソードを記したい。ユーゴスラビア生まれのボルコフは60年にカナダへ来て、名門スチュー・ハートのプロレス道場へ入門した。70年に渡米してアメリカ国籍を取り、WWWF(現WWE)に参戦。時は米ソの冷戦の最中であり、WWWFコミュニズムのロシア人としてのヒールなギミックで登場したが、もともとユーゴ移民である本人はコミュニストを嫌悪していた。しかし、マネジャーのブラッシーから「コミュニズムがいかに悪であるかリング上で、教えてあげればいい」と説得させられた。試合前の恒例のセレモニーで、赤のジャージ姿から観衆への起立を促し、調子はずれのロシア国歌を歌い、サムズ・ダウン(親指を下に向ける)の大ブーイングを浴びて、興奮度を煽った。

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Naked Body 写真集を出しました。

Urban Landscape
Naked Body
1975-1994, New York City

上のバナーをクリックすると iBooks Store に行けます。そこから私の写真集を手に入れることができます。無料です。

本の説明:
英語で Body (ボディ)は自動車の車体でも女性の体でも同じ表現である。 アメリカは1980年代にはすでに車社会で、全所帯の95%が車を所有していた。その頃、 この国の犯罪はピークに達していて、ニューヨーク市内では5分に一台の割合で車が盗難され ていた。その数は1980年に10万900件に登っていた。そこら中に盗難車が溢れ、まる でネッケド(裸)にされた女体のごとくエロテックに写って見えた。

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プロレスラー、マサ斉藤先輩との思い出!

先日、日本からの一通のメールでマサ斎藤先輩の死去を知り、色々な思い出が頭を駆け巡った。

私がアメリカのプロレス・マスコミに入ったのが80年代始めで、マサさんが81年にニューヨークのMSGが本拠地のWWF(現WWE)へ参戦してきた。当時はまだ、MLB (メジャーリーグベースボール) にさえ日本人プレイヤーの入団が難しい時代で、アメリカ・メジャープロレス団体WWFでは60年代のジャイアント馬場以来の日本人の入団を果たした偉業であった。口八丁のキャプテン・ルー・アルバーノをマネジャーに得て、ミスター・フジと日系悪役タッグチームを組みミスター・サイトーと名乗って暴れまくり、その胸板の厚さと肩筋肉の凄さで観衆を圧倒して、日本人として初めてWWFタッグチーム王座に就いた。当時、ニューヨークより1時間の距離のコネティカット州にアパートを借りて住んでいてフジの運転で東部一帯を駆け廻っていた。月1回のMSG定期戦が開催され、登場の都度、取材に行った。ある日、試合前に、分厚い札束の入ったサイフを預かった。試合が終わりシャワーから出てきたマサさんへサイフを渡すと、もう、ここWWFでは超売れっ子で年間380試合をこなし超多忙で、銀行に預けに行く時間がなくて、現金が溜まる一方だと言うことだった。

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まみさんが絵本第2作目を出しました。


まみさんが絵本の第2作目「ママのガーデニング」を iBooks Store に出品しました。上のアップルバッジをクリックして行くと手に入りますので、ぜひご覧ください。無料です。

本の説明:農薬を使わない環境を考えたガーデニングをめざした虫撃退法。ママの奮闘記を子供目線で絵本として書きました。

ナメクジ、コガネムシ、カミキリムシ、ハマキムシ、チャドクガクロウリハムシ、ハマオモトヨウ、アブラムシ、アリ、ミミズ、アマガエル、テントウムシ、シロアリなどが出て来ます。

マック以外では見られないです。ウィンドウズをお使いの方には PDF ファイルをお送りすることができますので、
http://mo2274.wp.xdomain.jp
サイトの中の ContactMe からメールアドレスを記入の上お知らせください。
英語版でも近く出品する予定なのでそちらもお楽しみに。

ニューヨーク市内で最大のクリスマス・デコレーションが見られるブルックリン「ダイカー・ハイツ」地区を訪問!















去る12月17日、気温が五度と非常に寒い週末に地下鉄D線でマンハッタンからブルックリンに出かけ18Av駅で下車した。そこはヴェラザノ橋とイタリアン地区ベンソンハーストの間で、スパニッシュのスーパーやお店がたくさん並んでいる。4ブロック西に歩いて、目指すダイカー・ハイツ地区に到着した。ここはイタリア系の居住地で、大きな一戸建ての裕福な家々が立ち並び、それぞれの家の庭には沢山の綺麗なクリスマス・デコレーションが施されている。大きな袋を提げたサンタやトナカイを走らせているサンタや映画のキャラクター等、新しいのは雪だるまのオラフまでいた。夜には電燈がともるイルミネーションがあり、より一層、きらびやかでしょうね。時より観光客も見かけて、一時間かけて散歩して目を楽しませてくれました。

ここのことは観光ガイドをしていた友人に聞いていて、日本人の人たちをよく案内していたそうです。だいぶ以前からあの辺りのことは有名で、毎年趣向を凝らすのを楽しんでいる人もいると思いますが、有名になったからこそやめられなくて困っている人もいるんじゃないかと思ってしまいますが、どっちにしても大変でしょうね。2−3軒は大掛かりな飾りを拒否?しているようですが、でも一般家庭並みの飾り付けはありました。